【クルマ塾】プリウスPHVは理想のドライブカー! 横田紀一郎氏の破天荒な西アフリカの旅とは?

■ガイドの代わりにグーグルアース

K:僕はプリウスで世界を旅した時に、いつか路上でボンネットを開けて呆然と立ち尽くすときがくるだろうと思ってた。でもいま僕地球7周くらいしてますけど、1回もなかった。なにもしてないけど。このクルマも買って、下にアンダーガードっていう、石に当たった時にそりみたいに滑るように、部品を付けたくらいでなにもしてないです。
Y:とにかく丈夫と。

K:丈夫ですね。プリウスとかハイブリッド系ってそんなに強くないんじゃないかって思うんですよね。えらい強いんですよー。なんか弱そうでしょ。
Y:弱そうではないけど、そんな過酷に使うことがないので、そういう話を聞くとやるなーって思いますね。
K:だから僕自身は海外走るんだったら絶対PHVだってことですね。特にアフリカにとっては電気って命ですから。

Y:電気使ってると周りに人が集まってくることってなかったですか?
K:今回は人が集まるところに行かなかったんですよ。なるべく人の集まらないところ。アルカイダに会わないように。
Y:そういうときって現地のガイドさんってついてくるんですか?
K:いや今回はガイドもいなくてグーグルアース使ってました。
Y:ハイテクですね!
K:ホテルだって予約できちゃうんだよ。だからキャンプも2日しかしてない。
Y:年を追うごとにどんどんハイテクを肌で感じるようになってますね。
K:そうですね。一番感じたのは、16年前行ったときはほとんど砂漠だったんですよ。ところがまずモロッコがアフリカ連合に加入した。すると解放戦線と西サハラもアフリカ連合に入って、その途端に地雷原の中に道ができちゃったんです。

Y:それはそれで怖い
K:いや地雷はどかして道路を作ったんですよ。ただ「このあたりは地雷原」って標識を撮りたくていってみたんですけど、怖くて取れないの。次は次はって思ってるうちに塩の湖に着いちゃった。
Y:じゃ、そんなに大変じゃなかったんですか?
K:大変な話するのはこの後の菅原さんですよ(笑)。ボクらはすごく楽でね(笑)。いまモロッコがすごい日本人を誘致してたりもするし。

この記事の著者

角田伸幸 近影

角田伸幸

1963年、群馬県のプロレタリアートの家庭に生まれる(笑)。富士重工の新米工員だった父親がスバル360の開発に立ち会っためぐり合わせか、その息子も昭和期によくいた「走っている車の名前が全部言える子供」として育つ。
上京して社会人になるも車以上に情熱を注げる対象が見つけられず、自動車メディアを転々。「ベストカー」「XaCAR」で副編集長を務めたのち、ポリフォニー・デジタルにてPlayStation用ソフトウェア「グランツーリスモ」シリーズのテキストライティングに携わる。すでに老境に至るも新しモノ好きで、CASEやパワートレインの行方に興味津々。日本ディープラーニング協会ジェネラリスト検定取得。大好物は豚ホルモン(ガツとカシラ)。
続きを見る
閉じる