第1回東京モーターショーより6年前『日本自動車大展覧會』開催! トヨタSA型も展示【F2P Vol.01】

この連載のタイトル、『温故知新』とはどうかと提案をいただきました。孔子様の格言は、ありがたいことですが、古い人間ほど新しいもの好き。

そこで、バック・トウ・ザ・フューチャーならぬ『フォーワード・トウ・ザ・パースト』略して”F2P”とし、見聞き、体験した自動車と人を記したいと思います。

第1回は、自動車もの書き業のはるか前の話しです。まだ自動車運転免許もなく、当時の日本の経済と不透明な将来では、一生自動車など買えないだろうと思っていました。しかし、移動不自由時代だからこそ、自由を与えてくれる自動車、いやエンジンがつけば車輪の数は問わない乗り物への渇仰は強かったのです。

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第1回東京モーターショー(正式名全日本自動車ショウ)開催の6年前のことです。1948年5月、私の自動車情熱(!)に油を注ぐような一連のイベントが東京都心で実施されました。大手町の『日本自動車大展覧會』、八丁堀の『小型自動車整備競技會』でした。

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大展覧會でいまようにいうプレミアデビューをしたのが、トヨタが革新技術を集結した小型乗用車SA型でした。

行事記事の小冊子に写真が載った日本自動車産業人がスゴイいのです。トヨタ自動車創立者・豊田喜一郎社長、東洋工業(マツダ)・松田重次郎初代社長、ブリヂストン創業者でプリンス自動車後盾となる石橋正二郎社長、マツダ技術の父、村尾時之助専務(のちに副社長)などでした。技術イベントは3輪車の解体、再組み立てコンペで、皇族名誉会長、運輸大臣に加え、“海外”代表の進駐軍産業担当官が熱心に見ていました。

一連の行事のクライマックスが自動車大行進でした。皇居前馬場先門を出発し、上野池之端に向けてのパレードでした。白煙を吐くエンジンアシスト自転車から当時の主力運送3輪トラック、ほとんど手叩きボデイの小型乗用車と4輪トラック、路線バスまで快走(?)しました。異彩を放ち、羨望の視線を集めたのは「進駐軍の好意」により参加した最新アメリカ車群です。

この光景に発奮した私が三田の自動車練習場(現フィアット・クライスラー・ジャパンの入ったビルの場所)に通い、宿願の小型運転免許(注1)を取った翌年1949年です。着るもの、食べるものを節約して練習費用を捻出しました。