北里柴三郎が研究所設立/トヨタがF1撤退/世紀のベストセラー「トヨタ・カローラ」誕生!【今日は何の日?11月5日】

■北里柴三郎と研究所の偉業を称える「予防医学デー」

北里研究所本館(博物館明治村)(C)Creative Commons
北里研究所本館(博物館明治村)(C)Creative Commons

1914(大正3)年11月5日、ペスト菌の発見や破傷風の治療など「近代医学の父」として有名な北里柴三郎博士が北里研究所を設立し、その後も、狂犬病やインフルエンザ、赤痢などの血清開発など尽力を続けました。北里研究所は、赤痢菌を発見した志賀潔や梅毒の特効薬を発見した秦佐八郎、黄熱病の研究をした野口英世など、多くの優秀な人材を輩出したことでも知られます。なお11月5日は、日本の医学の発展に多大なる貢献をした北里柴三郎博士と研究所の偉業を称えて、「予防医学デー」に制定されています。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●トヨタがF1撤退を発表!

日本GPのTF109。ドライバーは小林可夢偉(C)Creative Commons
日本GPのTF109。ドライバーは小林可夢偉(C)Creative Commons

2009(平成21)年のこの日、トヨタF1撤退を発表しました。2002年に初参戦して以来8年にわたる挑戦に幕を閉じたのです。そもそもトヨタにとってF1参戦は、モータースポーツに積極的に取り組む姿をアピールし、イメージアップに繋げるのが狙いでした。8年間の挑戦で優勝こそありませんでしたが、「そこまであと一歩」というレベルにまでは達していただけに、突然の撤退は多くのファンに衝撃を与えました。2008年、リーマンショックによって世界的な不況が起こり、さすがのトヨタも経営状況が悪化したのが撤退の理由です。また復帰を期待したいところですが、豊田章男社長は自分が社長をやっている限りF1復帰はないと公言していますね。

●日本のモータリゼーションを牽引したトヨタ・カローラがデビュー!

1966年発売のカローラ
1966年に発売されたトヨタ・カローラ
1966年発売のカローラの運転席周り、当時は超シンプルなインパネ
カローラの運転席周り。当時のインパネはシンプルでした

1966(昭和41)年のこの日、日本を代表する大衆車のトヨタ「カローラ」が登場しました。カローラは、1955年の高級乗用車「クラウン」、1957年の中級乗用車「コロナ」、1961年の小型大衆車「パブリカ」に続いて登場しました。パブリカが簡素過ぎて不評だったので、ユーザーの上級志向に応える大衆車となることが、カローラの使命でした。

ライバルの日産サニー」は半年前にデビューしていました。負けられないトヨタは排気量1000ccのサニーを意識した「プラス100ccの余裕」というキャッチコピーをカローラに授け、排気量を1100ccとして上質感をアピールしました。スタイリングは、格上のコロナと同じ当時最先端のデザインであったセミファストバックを採用。パワートレインは、最高出力60PS を発揮する1.1L直4OHCエンジンと4速MTの組み合わせで、駆動方式はFRでした。

1966年発売のカローラの前席シート、時代を感じるシフトレバー
1966年発売のカローラの前席シートと時代を感じる長いシフトレバー

当時は高度経済成長期の真っ只中。高速道路が急ピッチで建設され、大衆車でも一般路だけでなく高速道路もスムーズに走れることが求められました。カローラは、開発目標として「巡航速度の100km/hが限界最高速度の75%以下(※100km/hで巡行しても最高速度まで25%以上の余裕があること=最高速度134km/h以上)」「3速の最高速度が100km/h以上」「0-400m加速が20秒以下」であることを掲げ、いずれの目標もクリアしていました。

1966年発売の日産サニー、カローラより半年前にデビュー
1966年発売の日産サニー。カローラより半年前にデビュー

サニーより遅れてデビューしたカローラですが、販売台数でサニーを凌ぎ、日本を代表する大衆車の称号を獲得します。その後もカローラとサニーは、「CS戦争」と呼ばれた熾烈な競争をしながら、日本のモータリゼーションを加速させるという重要な役割を果たしたのでした。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン