1968年、ロータリーの耐久・信頼性を公衆の面前で証明したいという思いで参戦したニュル84時間耐久レースのエンジンの開発も担当しました。
そして70年代、ロサンゼルスの光化学スモッグに由来する排ガス規制にも、サーマルリアクター方式を採用することで対応。
さらに逆風をものともせず、当時のマスキー法に挑戦します。厳しい同法をクリアしたのは当時、ベンツのディーゼル、ホンダのCVCC、そしてロータリーの3つしかなかったそうです。
同時に北米の本格展開が始まります。1970年にはわずか2098台だった販売台数が、翌71年には2万台超、72年には6万台に迫り、73年には11万台を超えたそうです。
しかし、73年に起こった第一次オイルショックと偏向報道の影響を受け販売台数は急落、赤字へと転落してしまいます。
その偏向報道の真相と打開策についても、小早川さんの口から動画にて語られています。
どん底を打開するためにもロータリーの信頼性を上げるために、デスバレーや、富士山よりも標高の高いロッキー山脈で幾度も幾度もテストを重ねたそうです。