その後、マツダは5チャンネル政策へ向け飛躍の準備に入ります。小早川さんも「アンフィニ店のイメージリーダーカー」を作るべく、商品プラン・企画設計・デザインの各部門が三位一体になる方法はないだろうかと模索します。そして生まれたのがキーワードを列記した「アンフィニRX-7 開発の志」(こころざし)です。
まだFD型RX-7のカタチもないうちから共有されたその概念は、いま見ても心に迫るものがあります。
そして軽量化への執念を培うため、開発者10名を率いてゼロ戦の実機を何度も見学に行ったそうです。会場にはその残骸も回覧され、手にした来場者も不思議な感動を覚えていました。
当時、貴島さんにもタスクフォースのリーダーになってもらい挑んだ「ゼロ作戦」では、どうやったら1グラムでも軽量化できるのか、を6度も繰り返すことで、当初の計画より100kg以上も軽くすることができたそうです。
どうやったらもっと運動性能を高められるか、の答えをレーシングカートからロールスロイスまであらゆるクルマに乗ったそうです。名門ジムラッセル・レーシングスクールにも上司に無断でスタッフを通わせることができたほど、時代のゆるさも後押ししています。