「改造車の祭典」はオイルと排ガスの香りが漂っていた!? 昔の東京オートサロンを見てみよう! その1【Play Back the OPTION Spin off】

【第3回東京エキサイティングカーショー】

1985年1月11〜13日 東京国際貿易センター新館
来場者数:10万3905人

【1985年とは?】「NTT」「JT」発足/つくば科学万博開催/「スーパーマリオブラザース」ヒット

東京エキサイティングカーショーも3回目ともなると各車のレベルもグンとアップ。切った貼ったのボディから美しいスタイルへと変化したチューニングカーが多かったのです。

その筆頭がマッドハウスが製作したMR2ラングヘッド。奇才マッド杉山渾身の作です。また、レノマ・ブランドが登場し、白いエアロが人気でしたが、一方漢気のチューナーたちはよりカラーリングに凝り始めた傾向も。

【第4回東京エキサイティングカーショー】

1986年1月10〜12日 東京国際貿易センター東館・西館
来場者数:10万3587人

【1986年とは?】伊豆大島・三原山噴火/「写ルンです」大人気/本田美奈子「1986年のマリリン」ヒット/映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」上映

チューニングが徐々に市民権を得始めた頃ですか。大胆なカスタムカーやオープンカーが目立つ中、比較的大人しめのエアロも多かったのは、公認取得車が増えたんですね。で、この年で「東京エキサイティングカーショー」の名称は最後となりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

駆け足ですが、第1回〜第4回の東京エキサイティングカーショーを見てきました。次の年、1987年からはいよいよ「東京オートサロン」と名称変更し、スタートです!

【OPTION 1983年〜1986年より(The LEGEND of OPTION)】

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

【関連記事】

TOKYO AUTO SALON 2018公式サイト
http://www.tokyoautosalon.jp/2018/

東京オートサロンの原点は「おしん」「東京ディズニーランド」と同じ年の「第1回東京エキサイティングカーショー」
https://clicccar.com/2017/01/25/439956/

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
続きを見る
閉じる