このシティサーキットでも、当時のクルマは足が弱く、スピードは高くなくても挙動が激しく、逆ハンやドリフトを覚えていった。もちろん、首都高もオレのサーキットだった。先輩の後ろについて走り、なんとか上手くなろうと必死だったよ。
都内でひと走りして、そのまま第3京浜から横浜新道を通って、湘南まで飛ばす。そして、長者ヶ崎でUターンして戻るのが日課だった。クルマは、中古のコンテッサ・クーペ、遅いからソレックスキャブ付けてた。それでも、新しいカローラの1100に負けちゃうんだ。でも、オレは遅いクルマなりに、コーナーのスピードを上げていくのが楽しくてしょうがなかったよ。サスは車高短、マフラーも抜いていたから、いつも交番のおまわりさんや白バイに止められたけど、なんとか許してももらえる時代だった。
レースに出たかった。でも、戦闘力のあるクルマが作れない。ジムカーナくらいで精一杯。ストリートで練習して、ジムカーナで腕を試す、というわけだ。もちろん、今でもいいコーナーが目の前に迫ると、攻めたくなる。コレ、本能だね。でも、最近のクルマは性能がいいから、スピードが高く怖いね。首都高や東名も路面が悪く、クルマが多い。それでも、飛ばせるチャンスがあれば飛ばすよ。人に迷惑かけないのならいいと思っているから。
走り、スピード。これだけは、どんなに歳をとっても止められない。クルマがただ移動の道具だけだったら、オレはクルマを手放すよ。
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雨さんとDaiちゃん、いまやふたりとも70歳オーバーですが、「走り屋魂」は変わっていませんね。尊敬いたします! これからもチューニング界のトップを全開で走り抜けてください。
[OPTION 1983年6月号より]
(Play Back The OPTION by 永光やすの)