日本初の最高速300km/hオーバーが誕生した日、日本車勢トップは雨宮RX-7!

雨さんがついにやった!

谷田部最高速トライ、3周めにして277.45km/hという、前代未聞の大記録を打ち立てたのだ。これは、今までのレコードである、雨宮RX-7・13Bペリの258.06km/hを大きく凌ぐ。

雨さんがこのマシンの開発を始めたのは、’81年の春ごろ。ベースとなったのは、53年型の事故車。この5万円のクルマを完全に直し、新型RX-7用のノーズとテールバンパーを装着。ボディは徹底的に軽量化され、大記録を出したテスト時で860kgと、超ライトウエイトだ。

[ボディは、フロントバンパー下のプラ製のエアフラップ、リヤのFRPスポイラー、そして左右のアルミ製整流板などで、空力的にリファインされている。]

エンジンは、ご存知13Bサイドチューン。ポート形状やアペックスシールはターボ用に数々のメイク&トライの結果、決定されたものだ。

ターボユニットは当初、シグマ製キットに水冷インタークーラーの組み合わせをトライ。しかし、トラブルに悩まされ、回転も思ったほど上がらない。原因はターボの容量不足と考えられ、それ以後、雨さんははより大容量のタービンを求めて、何種類かのタービンをテストしてきた。

今回のテストで使用したのは、なんと、あのトラスト・シュニッツァーセリカの18R-G改ツインターボ用のKKKユニット。タービンブレード先端が溶けてレース用には使えなくなったパーツを、そのまま装着したという。

今までの水冷インタークーラーは、街乗りにはいいが、最高速テストでは水冷不足ということでHKS製に変更された。また、クーリング対策として、バンパー下のグリルを3分割し、ラジエター、オイルクーラー、インタークーラーと、それぞれ別に空気を導くよう工夫されている。

推定パワーは350ps前後。パワーウエイトレシは2.45と、強烈の一言だ。

この大パワーを伝達するミッション、デフはノーマルのまま。しかし当然、クラッチは強化されている。それでも、今回のテストではミッショントラブルが発生。今後、より強化されたパーツの装着を予定しているらしい。

ブレーキは、メーカー純正の4輪ディスク。ホースはエアロクィップで強化されている。

それにしても、ここまで来れたのは、雨さんと”若い衆”の多大な努力の結果。数字では表せないガッツが、このマシンに注がれているのだ。今後はミッションやデフの変更、各部のリファインで、更に記録の向上をもくろんでいるらしい。国産チューンドが300km/hの壁を破るときが、いつか来るかもしれない。このRX-7が、その最右翼にいることは、間違いなさそうだ。

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光永パンテーラの素晴らしい300km/hオーバーの記録と、国産車最速を記録したRE雨宮が輝く数字を残し1981年OPTION最高速計測会を終えたました。この日集まっていた多数のチューンドマシンたちの紹介は、また次の機会に!

ちなみに、OPTION最高速男として今もなお活躍する、OPTION-0代目編集長、稲田大二郎、通称・Daiは、この時点ではまだ「最高速男」として誕生しておりません!

[OPTION 1982年2月号より]

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

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この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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