日本初の最高速300km/hオーバーが誕生した日、日本車勢トップは雨宮RX-7!

エンジン2基壊れ、諦めムード・・・

「これまでの記録を上回るくらいじゃないと、悪いけど出場しないよ」・・・これが、雨宮の挑戦の弁だった。従来の自己最高は13Bペリの258.06km/h。が、心中ではトラストの大川トランザムが先にマークした264.71km/hを破りたいのはミエミエだった。

本番は火曜日、その前の金曜日に組んだエンジンがまず壊れた。土曜日に2基めに載せ換えたが、これもブローアップ。最後のトライとして、3基めを日曜日に徹夜で組んだ。が、今度はエアリサーチ製のターボが壊れたのだ。雨宮はこれで完全に諦めた。編集部にも出場取り消しの電話が入ったほどだ。

が、雨宮が当日、早朝に目覚めると、工場ではKKK製のターボを組んだRX-7が出来上がっていたのだ。若いメカたちが、またも徹夜で組んだのである。「ここまでやって出場しないと、これまでの努力が水の泡だ。何とか走らせるだけ走らせよう」という意気込みである。

が、雨宮は「どうせ、また壊れるよ。オレはカッコつかないから、谷田部に行かないよ」と自宅で待機していた。

「277.45km/h!」の電話が雨宮に入ったのは、当日の午後4時過ぎだった。「いやー、ホント若い衆のおかげだよ。オレは幸せものだ。1周しか走れなかったけど、エンジンは何ともなかった。これからは、ミッションや他の部分を対策しないといけないね。ワークスの13Bペリ(ファニーレーシング:262.29km/h)に勝てたのもウレシイよ!」

 

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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