1981年最高速総決算、930ターボ、Z、SA22RX-7、ジャパン、ローレル、コルベット、トランザムどれが勝った?

[国産車7位] 248.27km/h

フェアレディZ 3131cc by Mレーシング

難波チューンの地力、惜しくも不発

当日のテスト過程で、結局は248.27km/hをベストとしてマークしたが、この記録はすんなりとマークしたわけではない。基本的コンディションとしては、ゼロヨンセッティングであったとのことであるが、この点でやはり最高速チャレンジに多少のハンデを生じたのではなかろうか。1回めのトライアルでは、2周めになってパワーダウンの傾向が著しく、3周めに入らず走行を打ち切った。プラグ点検の結果、焼け過ぎ傾向である。よりコールドタイプを使うか、メインジェットを大きくするか、ふたつの対策が考えられたが、プラグを換えることで2回めのトライアルに入った。やはり結果は上々で、1回めより4km/h近く車速を伸ばすことができた。ゼロヨン用にシャープな吹き上がりを目指した場合、ガスが薄めになるのは、当然。このセッティングであると、谷田部の最高速トライアルではプラグがもたない。この因果関係の典型ともいえる例であった。したがって、ゼロヨンではベストが12秒81と、当日参加のZの中でトップを占めることとなった。どちらに的を絞るかは、走行結果に重大な影響を及ぼすわけで、トライアル参加者はその辺の方針を固めてかからなければならない。

 

[国産車8位] 245.31km/h

フェアレディZ 3134cc by エイワ・レーシング

吹き上がりは軽い、しかし、ブランドニューのハンディが響く

エンジンを前日に徹夜で組み上げ、慣らし運転ゼロというハンデがあった。この状態ではちょっとエンジンが気の毒であったが、トライアルを試みた。思ったより吹き上がりは軽い。1周めで245.31km/hをマークしたが、2周めに入って油圧がやや低下、同時に排気管から青い煙を吐き出すようになった。それでは走行継続は無理。1周のみの計測で終わった。排気量3134cc、ソレックス50φ、240Z用ノーマルミッションと、極めてスタンダードなチューニング。そして、ボディ形状、内装はまったくノーマルのまま、外見からは極く平凡なフェアレディZとしか映らない。これで240km/hも出るのであるから、クルマは(人は?)見かけによらぬもの。街中ではポルシェといえども、Zにはむやみに仕掛けぬほうがよい。サスは純正レース用、タイヤはV規定CN36と十分。

 

[外車3位] 238.01km/h

コルベット454 by春田昭英

ハイチューンATは街乗り用

ボンネット上の高い膨らみを除けば、外観内装ともにノーマルのまま。ハイチューンド・コルベットとは気付かれることのないクルマだった。しかし、中身はスゴイ。エンジンはシボレーLS6新品をアメリカから取り寄せ組み込んである。ミッションはノーマルであるが、トルコンはB&Wのチューニングキットで、ストールポイントは2000rpmに設定されている。ノーマルトルコンより500rpm下げられているわけで、トルコンスリップ率はだいぶ小さく改善されている。走りの結果は238.01km/hであった。当日、他車との相対比較では冴えないが、コルベットとしては最速レベルであるといってよかろう。完全なストリートバージョンとして240km/h近い最高速を発揮すれば、いうことはない。足まわりが固めてあったのでバンク内でも走りやすく、230km/hオーバーの直進安定性も好評であった。コルベットのボディスタイルは高速時のリフトが案外大きく、150km/hを超えると明らかに操舵力の軽さを感じさせるものであるが、このクルマはかなり高速まで安定していた。2周めのスピードダウンはプラグ焼けのためで、この辺を調整すればATとしてはトップクラスである240km/hの大台にのせることができるはずだ。その場合はミッション・オイルクーラーが必需品となる。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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