初代ロードスターの開発で乗り上げたいくつかの暗礁とは?【マツダのレジェンドに学ぶ・第3回】

「クルマ塾」ふたりめのトークは、マツダデザインの責任者を長らくつとめた福田成徳さんの登場です。

学生時代の仲間がトヨタや日産を志望するなか、ロータリーに惚れ込んだ福田さんは東洋工業(現マツダ)一択。面接の担当者は、きしくも山本健一さんだったそうです。直接「ロータリーエンジンのクルマをデザインしたいんです!」と猛アピールしてから幾星霜、関連会社も含めると47年以上もお世話になったそうです。

社長や副社長が気軽にデザイン室に顔をのぞかせるような、中小企業的な風通しのいいところがあったといいます。

あるとき、ファミリアのクーペ版を思いつき、壁に自分の空想のスケッチを貼っていたところ、それが上司の目にとまり、2年後くらいに量産が始まったというフットワークの軽さも思い出に残っているとのことです。

カリフォルニアにいた時代は「マツダは小さな会社なので、自動車デザインだけに凝り固まっていてはいけない」と思い、「ロマンチック・エンジニアリング」という感性に訴える思想を提案しました。

エンドユーザーの皆さんが「これいいね!」と感じてもらえる、時代の要求するココロをカタチにしていく「ときめきのデザイン」を当時から心がけていたそうです。