初代ロードスターの開発で乗り上げたいくつかの暗礁とは?【マツダのレジェンドに学ぶ・第3回】

現場に出て、エンドユーザーが何を求めているか、つねにリサーチしていました。初代NAロードスターもそのなかから産声を上げました。ブリティッシュ・スポーツが生産中止になったころですね。

ただ、当時アメリカでヒットしていたホンダCR-Xをサンプルにマーケットリサーチをしていると「RX-7という本格的スポーツカーがあるのに、もう1台はいらないよ」という声もあったのも事実だそうです。

ブリティッシュ・スポーツの跡を継ぐ役割は、どこかのメーカーがやらなければけいけないと感じていたそうです。

デザイン部門は、ボブ・フォール、チャック・ジョーダン、日本人なら俣野さんなど、多国籍なメンバーで構成されていました。

狙ったのは「セクレタリーカー」(秘書の乗るクルマ)でした。当時は女性の社会進出の機運が高まっていたころで、はたらく活気のある女性へ向けてライトウェイトスポーツを作ろう、という狙いがロードスターにはありました。

 

とりあえず走れる試作車を作り、オープンカーがきれいに見える気候の地域・サンタバーバラで実際に走らせました。ユーザーがどんな反応をするのか確かめるためです。試作が1台しかないのに走らせるなんて当時は無謀でした(笑)。ところが、それを見たとあるジャーナリストから電話がかかってきたのです。

発表前の試作車のスクープを世間に出すぞ、というような脅迫めいた内容だったのですが、これには「あなたが公開すると、この魅力あるスポーツカーが世に出なくなりますよ」と返し、制したそうです。

福田さんはFD型RX-7のデザインも手掛けていて、じつはフロントとリヤは、別のデザイン案をミックスさせたものだそうです。フロントは日本案、リヤはドイツの案です。それを陳さんというデザイナーにうまくまとめてもらいました。

会場には、みずからしたためた水彩画を何十枚も持ち込んで展示されていた福田さん。その味わいのあるタッチに釘づけになっているマツダファンも多数いらっしゃいました。

(畑澤清志)