「東京オートサロン」に名称変更されたのは「あぶない刑事」と同じ1987年から。昔の東京オートサロンを見てみよう!その2【Play Back the OPTION Spin off】

【東京オートサロン1988】

1988年1月8〜10日 東京国際貿易センター東館・南館
来場者数:13万8910人

【1988年とは?】瀬戸大橋、青函トンネル開通/シーマ現象起きる/サザンオールスターズ「みんなのうた」ヒット/TV「ねるとん紅鯨団」が人気に

東京オートサロンとなって2回目、通算6回目のチューニングカーの祭典です。この時代になると、コツコツと仕上げていくチューニングカーやドレスアップカーと異なり、パーツメーカーやショップがトータルで仕上げるコンプリートカーが幅を効かせてきました。また、海外からも更に注目を集め、アメリカからSEMAの会長も視察にやって来た〜!

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東京オートサロン初年度から、昭和最後の年となった1988年まで見てきました。マシンの作りも綺麗になってきましたよね。

そうそう気が付きました? 「自動車メーカー系の出展が無い」こと。そう、まだこの時代は自動車メーカーにとっては「行くな、見るな、危険が危ない!!」なんですね〜。もぉ、本当は好きなクセに〜! 自動車メーカーの皆さんがモーターショーよりオートサロンに注目する(??)ようになったのは、もうちょっと先のお話です。次回その3は、昭和から平成に時代が移り変わった「超チューニング元年」へと進化していきます。

【OPTION 1987年〜1988年より(The LEGEND of OPTION)】

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

【関連記事】

TOKYO AUTO SALON 2018公式サイト
http://www.tokyoautosalon.jp/2018/

「改造車の祭典」はオイルと排ガスの香りが漂っていた!? 昔の東京オートサロンを見てみよう! その1【Play Back the OPTION Spin off】
https://clicccar.com/2018/01/07/546355/

東京オートサロンの原点は「おしん」「東京ディズニーランド」と同じ年の「第1回東京エキサイティングカーショー」
https://clicccar.com/2017/01/25/439956/

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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