最高速テストドライバー「稲田大二郎」が誕生した日【OPTION1983年2月号・その1】

【AM4:00】

ついに、決戦当日の朝が訪れた。外はまだ闇だ。「天候は?」「大丈夫。星が瞬いている」。体に突き刺さる真冬を思わせる寒気も、気にならなかった。何にも増して、我々が恐れたのは雨だったのである。もし、当日、雨に見舞われたなら、もはやテストは意味をなさない。雨はもちろん、最高速を低下させる。が、それ以上に300km/h近い速度でウエットのバンクに突入することは、自殺行為に他ならないからだ。

ちなみに、谷田部のテストコースのバンク最上段の設計速度は220km/hである。たとえドライであっても、オーバー250km/hカーともなると、コントロールは難しい。他誌のテスト中のことである。バンク内でフッとアクセルを緩めただけで、マシンはテールスライドを引き起こし、あわやガードレールに激突しそうになった「事件」もあるのだ。コンディションが雨ならば、いかに精鋭揃いであっても、記録はおろか、テストは中止せざるを得なかったのだ。

【AM5:30】

東の空が、薄っすらと赤みを帯びてきた。雲ひとつない快晴である。気温も低い。テストには絶好のコンディション、記録への期待が、いやが上にも膨らんだ。もう日の出も近い。すでに遠路九州からSS久保ソアラターボがコースイン。RSヤマモトZに奪われた国産最速の座を奪回すべく、心中深く決意を秘めたRE雨宮の1、2マシンも早々と姿を見せた。L型ビッグボアの究極、JUN3.5Lも、新たにニューZのボディに与えられ、往路の常磐高速で270km/hを余裕でマークしてきたと自信を見せる。

【AM7:30】

役者は揃った。全22のグリッドのうち、すでに21台がコースインしている。まだ姿を見せない、最後の1台が気になった。というのも、それは関西の雄、柿本レーシングZだったからである。北野元、津々見友彦、両テストドライバーも姿を見せた。ともあれ、後はAM8:00のテストスタートを待つばかりである。すべて順調であるかに見えた。が、この頃すでに、コースを横切る風は、気まぐれな突風を交えていたのである…。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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