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北野選手のピンチヒッターは、Daiが務めた。HKS・OPTION・Zを足とするDaiならば、ハイパワーマシンの扱いはもとより、谷田部経験にも不足はない。とはいえ、あの北野選手が、「これでは全開にできない」とマシンを降りた後である。
しかも「Daiちゃん、くれぐれも気をつけろよ。度胸だけで踏んでいると、本当に死ぬぞ。オレはこの場に立ち会っているだけでも気持ちが悪くなってくる。先に失礼するよ」とまで言われているのである。風はいっこうに衰えを見せていない。いかに土性骨のすわったDaiとて、めいっぱい踏めるわけがなかった。
メカチューン派、無念!
しかし、そうした悪コンディションの中、津々見選手は経験にモノをいわせて、マシンを操る。富士スピードウェイで空力を詰めたという、HKSセリカXXは、安定した走りで260km/hをオーバーし、実力派チューナー、雨宮RX-7ターボ、RSヤマモトZターボも280km/hに迫る速度をマークした。
さらにウエスト・コルベットは、そのフォルムと車重にモノをいわせ、横風も切り裂き、285km/hまで記録を伸ばしたのである。
が、反面、メカチューン派は風に泣いた。往路、名神高速・大垣付近で、搬送用トラックが故障した柿本Zは、テスト用に装着済みのメガホンを切断し、捨ててある空き缶をマフラーがわりに細工して自走してきていた。
マシン・セッティングは、300km/hをも可能にするトップレブ仕様だ。レブリミットは無し! バンクを4速8000rpm以上で5速につながねば、パワーはのらないのだ。そしてその時の車速は、270km/hに達する! 逆に、そこまで回せなければ、たとえ7000rpmのシフトアップでもプラグがかぶってしまうほどなのだ。が、いかんせん、バンクでそこまで回せるコンディションではなかったのである。それは、他のメカチューン車にも総じていえることであった。
【AM12:00】
かくして、1982年総決算谷田部最高速トライアルは、無念の思いに包まれたまま終了した。記録的には確かに心が残る。だが、あえて言っておきたい。無事に最後の幕を降ろせたことは、あるいはいかなる記録よりも、価値があったのかもしれない、と…。