1999年3月、経営危機に陥った日産は、ルノーの資本を受け入れて傘下に入りました。そしてルノーからゴーン氏が派遣され、日産の社長に就任。「日産リバイバルプラン」においてコミットメント経営で大いに辣腕を奮い、倒産寸前まで追い込まれていた日産を立て直すことに成功しました。
更にゴーン社長(当時)は、日産車のブランド再構築に取り組み、新コンセプト&メカを備えたクルマを開発して世に送り出しました。その一台が、生まれ変わった11代目V35スカイラインだったのです。
開発の仕掛け人は、R32時代に個性明快フォーメーションを企画推進し、現行GT-Rの開発責任者を務めた水野和敏氏。日産が経営危機に陥っている中、グローバルで通用するFRミドルセダンの開発を目指していました。
そして水野氏は、V6エンジンをフロントミッドに搭載し、ロングホイールベースによって大容量キャビンと理想的な前後重量バランスを両立する「FMパッケージ」を提唱。当時の日産社内ではネガティブな評価だったそうですが、着任したゴーン社長に見出され、V35スカイラインとして具現化したと聞き及んでいます。