「スカG伝説」とは? ポルシェ904を7周目ヘアピンで抜き去った「スカイラインGT(S54型)」速さの秘密【歴史に残るクルマと技術016】

■2代目スカイラインに直6エンジンを搭載したスカイラインGT誕生

第二回日本GPでポルシェ904を追走するスカイラインGT
第二回日本GPでポルシェ904を追走するスカイラインGT

1964(昭和39)年5月2日から2日間、第2回日本グランプリが鈴鹿サーキットで開催されました。前年の第1回日本GPで惨敗を喫したプリンス自動車は、2代目スカイラインにグロリアの直6エンジンを搭載した「スカイラインGT」で参戦。7周目のヘアピンで一時的ながらポルシェ904を抜き去るという快挙を成し遂げ、ここに“スカG伝説”が誕生したのです。


●初代スカイラインは、飛行機づくりのDNAを受け継いだ高性能セダン

1957年4月、富士精密工業(後に日産と合併するプリンス自動車の前身)から、初代スカイライン「プリンス・スカイライン」が発売されました。初代スカイラインは、中島飛行機の流れを汲んだ技術者によって開発された先進技術満載の高性能セダンでした。

1957年に誕生した初代スカイライン。重厚なアメリカンスタイルの高性能セダン
1957年に誕生した初代スカイライン。重厚なアメリカンスタイルの高性能セダン

初代スカイラインは、テールフィンを持つボリューム感のあるアメ車風スタイルの4ドアセダンで、当時としては画期的なツートンを標準ボディ色としていました。エンジンは、1.5L直4 OHVでクラストップの最高出力60PS/最大トルク10.75kgmを発揮。コラムシフト4速MTのFRで、最高速度は国産乗用車最速の125km/hを誇りました。

1963年にデビューした2代目スカイライン
1963年にデビューした2代目スカイライン

一方で、高級車らしい乗り心地を実現するため、バックボーントレイのフレームで剛性を確保し、足回りはフロントにダブルウィッシュボーン/コイル、リアにはド・ディオンアクスル/リーフという先進的なセッティングを採用し、セダンながらスポーティな走りは多くの人々の憧れのクルマとなりました。

●第1回日本グランプリでのスカイライン惨敗の屈辱

1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本GPに、初代スカイラインのスポーツモデル「スカイラインスポーツ」と「スカイラインスーパー」で参戦したプリンス自動車でしたが、見せ場なく惨敗します。レース前の “メーカーがチーム編成をしない、メーカーが改造に関与しない”という紳士協定を律儀に守り、完全な市販車でレースに臨んだことが敗因でした。

他のメーカーは、レース用にチューニングされたマシンを準備していたのです。スポーツカーIIレースで優勝した日産自動車の「フェアレディ1500」は、輸出用のSUツインキャブ仕様で足回りもチューニングされていました。ちなみに、1961年に富士精密工業はプリンス自動車に改名、まだ日産自動車とプリンス自動車は合併前の別のメーカーでした。

他のドライバーからも、規定違反ではないかと抗議が出て物議を醸しましたが、抗議は認められませんでした。例え、そんな理不尽なことがあったにせよ、レースの敗北は飛行機づくり出身の誇り高き技術陣を主力とするプリンス自動車にとっては耐え難いものであり、プリンス自動車は翌年の第2回日本GPでの雪辱を果たすべく準備を始めました。

●グロリアの6気筒エンジンを搭載したスカイラインGT誕生

1964年に誕生したスカイラインGT。2代目スカイラインに2代目グロリアの2.0L直6 エンジンを搭載
1964年に誕生したスカイラインGT。2代目スカイラインに2代目グロリアの2.0L直6 エンジンを搭載

最強のマシンとして、スカイラインの開発責任者であった桜井眞一郎氏が考えたのは、2代目スカイラインに2代目グロリアの2.0L直6 SOHCエンジンを搭載することでした。

最大の難題は、もともと1.5Lの直4エンジンを搭載していたスカイラインには、そのままでは当然ながら長さのある直6エンジンが搭載できないことでした。そのため、フェンダーを切断したエプロン部分にスペーサを溶接してエンジンルームスペースを延長、鼻先を200mm伸ばして6気筒エンジンが収まるようにしたのです。さらにレース用のエンジンチューニングによって、最高出力150PS/最大トルク18.0kgmまで性能が高められました。

スカイラインGTの主要諸元
スカイラインGTの主要諸元

レース参戦のため、ホモロゲーションを得るために必要となる100台の手作り生産が行われ、ここに「スカイラインGT(S54A-1型)」が誕生したのです。市販車モデルの価格は88万円で、最高出力105PS/最大トルク16.0kgmでした。ちなみに、当時の大卒初任給は2.1万円程度(現在は約23万円)で、単純計算で現在の価値にすると、おおよそ960万円になります。

●ポルシェを抜き去った伝説のレースからスカG伝説が始まった

1964年の第2回日本GPのGT-IIクラスでの圧勝を目論んでいたスカイラインGTでしたが、予想外の強敵がエントリーしました。それは、式場壮吉選手が駆けるミッドシップスポーツカー「ポルシェ904」でした。最高出力が180PSのポルシェ904に対して、150PSのスカイラインGTでは到底勝ち目はありません。

ところが、生沢徹選手のスカイラインGTは必死に追いすがり、なんと7周目のヘアピンカーブでポルシェ904を抜き去り、先頭に立つという快挙をやってのけたのです。最終的には、ポルシェ904の圧勝で終わりましたが、国産車が世界最高峰とみなされていたポルシェを抜いたことに観客は熱狂し、“羊を被った狼”と評され今も伝説として語り継がれているのです。

スカイラインGTは、限定100台の販売だったので、さらなる販売を要望したファンのために、翌1965年に「スカイラン2000GT(S54B-2)」が発売され、こちらは最高出力125PS/最大トルク17.0kgmでしたが、待ちわびたファンから絶大な人気を獲得。これがスカイライン2000GTの始まりであり、1969年に3代目スカイライン(ハコスカ)「スカイライン2000GT-R」へと発展したのです。

●プリンス・スカイラインGTが誕生した1964年は、どんな年

1964年にデビューしたファミリア800 セダン
1964年にデビューしたファミリア800 セダン
アローラインと呼ばれたシャープなスタイリングが特徴の3代目トヨペットコロナ
アローラインと呼ばれたシャープなスタイリングが特徴の3代目トヨペットコロナ

1964年には、トヨタの3代目「トヨペットコロナ」、東洋工業(現、マツダ)の「ファミリア800セダン」、三菱重工(現、三菱自動車)の「デボネア」も登場しました。

3代目コロナは、アローラインと称されたスタイリッシュなデザインに、優れた性能と耐久信頼性を兼ね備え、人気の日産「ブルーバード」から小型乗用車販売トップの座を奪取したヒットモデル。ファミリアは、マツダ初の大衆乗用車で僅か4年の間に40万台を生産した、マツダの自動車メーカーとしての地位を不動にしたヒットモデル。デボネアは、三菱が「セドリック」、「クラウン」に対抗するために投入した、当時の国産乗用車としては全長、ホイールベースとも最長の最高級乗用車でした。

その他、この年には日本の高度経済成長を象徴する東京オリンピックが開催され、それに合わせて東海道新幹線が開業、カルビー「かっぱえびせん」、ロッテ「ガーナチョコレート」、大関酒造「ワンカップ大関」が発売されました。また、ガソリン48円/L、ビール大瓶120円、コーヒー一杯70円、ラーメン60円、カレー120円、アンパン12円の時代でした。


セダンながら他を圧倒する走りで“羊の皮を被った狼”と呼ばれてスカG伝説を作り、その後不朽の名作「スカイランGT-R」へと発展を続けてゆくプリンス・スカイラインGT、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いありません。

Mr.ソラン

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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