往年のカリスマ自動車エンジニアを招き、ここでしか聞けない往時のエピソードをたっぷりと堪能できるトークフォーラム『クルマ塾』。会を重ねて第3回となった今回は、スバルのレジェンドを迎え、10月14日に催されました。
今回招かれたのは2名のエンジニア。工藤一郎さんと大林眞悟さんです。
スバリストにとってはおなじみの御二方であり、初代レガシィ誕生にディープに携わっていらっしゃった、EJボクサーエンジン、フルタイム4WD、そしてツーリングワゴンという現代スバルのパッケージの核を創造された時代に、現役で活躍されていらっしゃったレジェンドです。
会場となった本社ショールームも、レジェンドを招くために初代レガシィを展示するなど準備万端です。
最初に登壇されたのは工藤さんでした。お話はEJエンジンの開発スタート時から始まりました。エンジンの試作が始まったのは1984年の秋からだったそうです。
基本コンセプトは「寸法の増大を極小にして、1.8リッターから2.3リッターをカバーするエンジン」だったそうです。
そして生まれたのが4つの排気量でした。水平対向ですからストロークは77mmで共通、ボアを87mm(1783cc)、92mm(1994cc)、97mm(2216cc)、100mm(2316cc)のボアを揃えました。プラス2気筒にすることで6気筒化できる発展性もすでに織り込まれていました。
高剛性化やメンテナンスのしやすさを考え、目標とされたエンジン構成はオープンデッキ化にはじまり、3ベアリングだったレオーネの時代のEAエンジンから5ベアリング化、ヘッドボルトの6本化、エンジンの前後長を長くしないためのタイミングベルトの1本化、オイルポンプのクランク直結化などです。それら高い理想からも、次世代エンジンを目指す意気込みが伝わってきます。
シリンダーブロックのダイキャスト化は、当時3000万円から4000万円という開発費のコストプッシュになったそうですが、そこを何とか押し切ったそうです。