連続64ヶ月間小型乗用車のトップに君臨した「ダットサン・ブルーバード」、その魅力は?【歴史に残るクルマと技術011】

■大衆の上級志向に応えた小型乗用車のパイオニア

1959年に誕生した初代ダットサン・ブルーバード
1959年に誕生した初代ダットサン・ブルーバード

1959(昭和34)年8月1日、日産自動車から「ダットサン・ブルーバード」が発売されました。

当時の日本は、まだ自動車黎明期、ブルーバードは翌年デビューしたトヨタの「トヨペット・コロナ」とともに、上級志向の小型大衆車として、日本のモータリゼーションの一翼を担いました。


●日産自動車のルーツはダットサン

初代ブルーバードには、ブルーバードの前にダットサンというブランド名が冠されていますが、その由来は1911年に創立された快進社まで遡ります。快進社は、小型乗用車「DAT自動車(脱兎号)」を生産、DATは資金協力者の田(D)と協力者の青山(A)、竹内(T)の3氏のイニシャルを取ったものです。

その後、ダット自動車商会となり、大阪の実用自動車製造と合併して「ダット自動車製造」となり、DATSUNという車名の乗用車を開発。このダット自動車製造を、鮎川義介が創立した戸畑鋳物が1933年に吸収して「自動車製造株式会社」に、その翌年1934年に社名を変更して「日産自動車」が誕生しました。

日産自動車ができる前に、すでにDATSUNという車が存在し、ダットサンはブランドと同時にトレードマーク(商標)でもあり、車名の冠として長く使われたのです。ブルーバードは、6代目(1979年~1983年)まで「ダットサン・ブルーバード」、サニーも4代目(1977年~1983年)まで「ダットサン・サニー」と名乗っていました。

●日本の自動車黎明期、海外メーカーの動きは

1950年代、日本では量産初の軽自動車「スズライト(1955年~)」、純国産車「トヨペットクラウン(1955年~)」、航空機技術の流れを汲んだ「プリンス・スカイライン(1957年~)」、初の国民車「スバル360(1958年~)」が登場した自動車黎明期でしたが、海外ではどんな車が登場したのでしょうか。

1959年に誕生した初代ダットサン・ブルーバード
1959年に誕生した初代ダットサン・ブルーバード

海外では、第二次世界大戦中に生産を止めていたフォルクスワーゲン「タイプ1」=通称「ビートル」が生産を再開、フランスのミリオンセラーとなったルノー「4CV(1946年~)」、3.0L直6エンジンで最高出力215PSを誇った「メルセデス・ベンツ300LS(1954年~)」、サスペンションを油圧制御するハイドロニューマチックのシトロエン「DS(1955年~)」などが登場。1963年には、空冷6気筒エンジンをリアに搭載したRRレイアウトの「ポルシェ911」が誕生しました。

また1950年代には、エアサスペンションやパワーステアリング、V型エンジンやDOHCエンジン、1960年代にはターボエンジンが登場。さらに安全に対する要求の高まりから、衝突安全ボディやディスクブレーキ、3点式シートベルトなどが実用化されたのも、この時期です。

●上質なファミリーカーとしてトップの座に君臨し続けたブルーバード

ブルーバードの車名は、メーテルリンクの童話“青い鳥”に因んだもので、世界が求めている希望の青い鳥であるように、との願いが込められていました。

ダットサン・ブルーバードの主要諸元
ダットサン・ブルーバードの主要諸元

セミモノコックボディで構成された親しみやすい丸みを帯びた4ドアセダンで、快適な室内空間、乗り心地を重視した足回り、日本初のユニサーボブレーキの採用などで、新世代の車であることをアピール。パワートレインは1.0Lおよび1.2L直4 SOHCエンジンと3速MTの組み合わせで、駆動方式はFRでした。

車両価格は、1000スタンダード68.5万円、1200スタンダード69.5万円、1200デラックス76.9万円。ちなみに、当時の大卒の初任給は1.3万円(現在は約23万円)程度、単純計算では現在の価値で最も廉価な1000スタンダードでも約1200万円となり、まだまだ小型乗用車でも高価な時代でした。

1960年にデビューした2代目トヨペット・コロナ
1960年にデビューした2代目トヨペット・コロナ

自家用車として家族が乗って楽しめる室内空間と、優れた乗り心地が実現されたブルーバードは、1ヶ月で8000台を受注。翌年には、トヨタからライバル車の新型「トヨペット・コロナ」がデビューし、市場を二分して熾烈な販売合戦、いわゆる“BC戦争”が繰り広げられましたが、ブルーバードはコロナを圧倒、連続64ヶ月もの間、小型乗用車のトップに君臨したのです。


●ブルーバードが誕生した1959年は、どんな年

1959年に登場したミゼットMP型
1959年に登場したミゼットMP型

1959年には、ダイハツから「ミゼットMP型」=通称「丸ハンドルミゼット」も発売されました。ダイハツの起源は日本の自動車メーカーの中で最も古く、1907年に設立されたエンジンを製造する「原動機製造株式会社」に遡ります。

戦前から自動車事業に参入して3輪トラック(オート3輪)で成功を収め、戦後1957年に軽3輪トラック「ミゼット」を発売。ミゼットは、手軽に乗れて、小回りが効き、ランニングコストも安い軽商用車として大ヒットしました。

1957年のDKA型は、オートバイのようなバーハンドルで、フロントウインドウとドライバーの頭上のみに付けられたキャンバス製ルーフで構成された、3輪スクーターのような車でした。その2年後1959年のMP型では、ハンドルが丸型となり、2灯式ヘッドライトに左右ドアを備えた密閉式キャビンへと変わり、自動車らしく変貌したのです。

そのほか、この年には皇太子明仁親王(現、明仁上皇)のご成婚が執り行われ、甚大な被害をもたらした伊勢湾台風が東海地方に来襲しました。また、週刊少年マガジンと週刊少年サンデーが同時創刊、ガソリン43円/L、ビール大瓶125円、コーヒー一杯60円、ラーメン45円、カレー110円、吉野家牛丼120円、アンパン12円の時代でした。


家族が楽しめる上級志向のファミリーカーとして、ライバルを圧倒して小型乗用車のパイオニアとなったブルーバード。日本の歴史に残る車であることに、間違いありません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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