皆の憧れバスガール誕生/トヨタ世界3位に成長させた社長・張富士夫生まれる/6代目トヨタ・セリカにGT-FOURデビュー!【今日は何の日?2月2日】

■日本初のバスガールは憧れの的

1920(大正9)年2月2日、東京の乗合自動車に初めてバスガールが誕生しました。現代風にいえば女性添乗員ですね。年齢18歳以上で、初任給35円という当時としては高給待遇が話題になり、女性の憧れの仕事だったそうです。ちなみに、小学校の先生の初任給が40~55円の時代のことです。

さて、2月2日に生まれたのは、タレントの劇団ひとり、プロ野球の村上宗隆、ビーチバレーの浅尾美和、プロレスラーの天龍源一郎、経営者の張富士夫などです。本日紹介するのは、トヨタの元社長の張富士夫です。

●トヨタを世界第3位のグローバル企業に成長させた8代目社長の張富士夫が誕生

張富士夫元トヨタ社長(C)Creative Commons
張富士夫元トヨタ社長(C)Creative Commons

張富士夫は、1937(昭和12)年2月2日、中国の旧満州大連で南満州鉄道に勤める両親のもとで生まれました。終戦で帰国後に東京で育ち、東京大学法学部を卒業後、1960年にトヨタに入社。トヨタ生産方式の生みの親である大野耐一のもとで働いていた経験もあり、モノづくりや生産の効率化を推進、海外生産工場の立ち上げなどを経て、1999年に奥田碩の後を継いで第8代目社長に就任します。就任中は、多くの新型車を投入しながら海外販路路線を推進、2002年以降は海外販売台数が急拡大し、世界第3位のグローバル企業に成長させました。2005年に社長を渡辺捷昭に譲り会長職に。現在は相談役を務めています。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●WRCを席巻したセリカGT-FOURがデビュー!

トヨタ・セリカ
1994年にデビューしたトヨタ・セリカGT-FOUR (C)Creative Commons
1994年にデビューした6代目セリカGT-FOUR
1993年にデビューした6代目セリカ

1994(平成6)年2月2日、6代目トヨタ・セリカにフルタイム4WDを組み込んだ「セリカGT-FOUR」がデビューしました。GT-FOURはWRC参戦のホモロゲーション取得のためのモデルで、初代は1986年の4代目セリカで登場しました。5代目は1993年にWRCのドライバーズ・チャンピオンとメイクス・チャンピオンの両タイトルを取得するという輝かしい記録も達成しています。

6代目セリカのGT-FOURは、GT-FOURとしては3代目にあたるモデルで、2.0L直4DOHC16Vにツインエントリーセラミックターボを搭載して、最高出力を先代の225PSから255PSに向上。これはターボをツインにしただけではなく、インタークーラーの水冷化やカムシャフトのリフト量アップなど、細部にわたってチューニングした結果です。サスペンションは前後ともストラット式、ブレーキは4輪ベンチレーテッドディスク式、さらに高速コーナリング時の制動安定性と操舵性を高めるスポーツABSも装備されました。

WRCで大活躍した5代目セリカGT-FOUR
WRCで大活躍した5代目セリカのGT-FOUR

GT-FOURの最大の特徴である4WDには、センターデフにビスカスカップリングを作動制限装置として組み合わせ、リアデフにはメカニカルなギヤを採用したトルセン式フルタイム4WDが採用されました。

惜しくもWRCでは期待通りの結果が残せませんでしたが、ホモロゲーションに必要な生産台数2500台はあっという間に完売し、いまでは中古車にものすごい値段が付いています。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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