スバル・レックス、三菱ミニカ、ダイハツフェローMAX、ホンダ・ライフ、マツダ・シャンテ…軽自動車各社は排ガス規制をどう乗り切った?【スズキ100年史・第18回・第4章 その4】

鈴木自動車は、2ストロークエンジンによる排ガス対応を最終的に断念し、4ストロークエンジンの置き換えを決断しました。

一方でライバルの軽自動車メーカーは、どのようにして排ガス規制を乗り切ったのでしょうか。

富士重工、三菱自動車、ダイハツの3社は、新たに水冷4ストロークエンジンを開発して独自の排ガス低減技術で「昭和53年排ガス規制」に適合しました。また、ホンダとマツダはそれぞれ小型車やロータリーエンジンの開発にリソースを集中させるため、軽自動車事業から一時的に撤退する選択を行ったのでした。

第4章 排ガス規制と2ストロークエンジンの危機

その4.ライバルメーカーそれぞれの排ガス対応

●排ガス規制と軽自動車

日本では米国のマスキー法にならい、1973(昭和48)年から、CO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)を規制する本格的な排ガス規制が始まりました。その後段階的に強化され、1978(昭和53)年には世界で最も厳しいと言われた「昭和53年排ガス規制」が施行されました。

排ガス規制の強化は、順調に成長していた自動車、特に軽自動車の販売を失速させました。規制対応のためのコスト上昇によって、1960年代後半から普及し始めた小型車との価格差が縮まったこと、さらに排ガス低減のために燃費悪化や出力が低下して実用性に問題が生じたためでした。

重くのしかかってきた排ガス規制に、鈴木自動車の軽ライバルメーカーがどのように対応したのか、紹介していきます。

●富士重工

1972(昭和47)年発売のスバル「レックス」は、当初は排気量360ccの水冷2ストローク2気筒エンジンでしたが、翌年に4ストロークエンジンに変更しました。

1975(昭和50)年には、「SEEC-T(スバル排ガス抑制空気導入式燃焼制御システム)」によって、軽自動車として初めて「昭和51年排ガス規制」に適合。その後1976(昭和51)年に規格変更で車両サイズを拡大、排気量を500ccに増量した「レックス5」をはさみ、1977(昭和52)年に排気量を550ccに拡大し、「SEEC-T」にEGRと三元触媒を組み合わせて「昭和53年排ガス規制」に適合した「レックス550」を発売しました。

1975レックス(360cc)
1975レックス(360cc)
1976レックス5(500cc)
1976レックス5(500cc)
1977レックス550(550cc)
1977レックス550(550cc)

「SEEC-T」とは、エアサクションバルブによってシリンダー内と排気ポートに2次空気を導入して、未燃ガスを再燃焼させてCOとHCを低減するシステムです。

スバルSEEC-Tの原理
スバルSEEC-Tの原理

●三菱自動車

1978年、4代目ミニカとなる「ミニカami55」で、独自開発した「MCA-JET」システムを採用して、「昭和53年排ガス規制」に適合しました。

1978ミニカami55
1978ミニカami55

「MCA-JET」とは、ジェットバルブと呼ばれる小さな第2の吸気弁を燃焼室に組み込み、そこから吸入される空気または薄い混合気でシリンダー内に強力なスワールを発生させる仕組みです。スワールによって燃焼を活性化し、さらにEGRや三元触媒と組み合わせて排ガスを低減します。

バルカンエンジン(MCA-jet)
バルカンエンジン(MCA-JET)
MCA-JETの原理
MCA-JETの原理

●ダイハツ

ダイハツは、新しい4ストロークエンジンを開発し、1975年発売の「フェローMAX」に搭載。排ガス低減には、トヨタの小型車で採用していた乱流ポット式のダイハツ希薄燃焼方式「DECS-L」で対応しました。

1976フェローMAX550
1976フェローMAX550

これはディーゼルエンジンの渦流室式と同じように、副室内でまず点火燃焼させ、そこから噴出する強い乱流火炎によって主室内で希薄燃焼を実現させる燃焼方式です。

フェローMAX550 DECS-L カタログ解説
フェローMAX550 DECS-L カタログ解説

●ホンダ

大ヒットしたN360の後継として、1971(昭和46)年「ライフ」をデビューさせました。エンジンは空冷から水冷に変更した4ストローク2気筒でしたが、本格的な排ガス規制が始まる前1974(昭和49)年に生産を終了しました。

これを機に、ホンダは軽乗用車事業から一時的に撤退。世界的な大ヒットとなる「シビック」(1972年)の生産に注力するためでした。

1971-1976ホンダライフ
1971-1976ホンダライフ

●東洋工業

1962(昭和37)年に東洋工業初の軽乗用車「キャロル360」を発売。発売直後は人気を得たものの、その後続々と登場した高性能のライバル車に後れを取り、1970年に生産を終了しました。搭載された358ccエンジンは、軽乗用車としては初のオールアルミ合金製の水冷4ストローク4気筒でした。

1962-1970キャロル360
1962-1970キャロル360

キャロルの生産終了後2年のブランクを経て1972年発売のシャンテで再び軽乗用市場への復活を図りました。当初は、ロータリーエンジンを搭載して登場する計画でしたが、技術的な難易度に加えて国交省や他社メーカーが難色を示したため、水冷2ストロークエンジンに替わったといわれています。レシプロエンジンと異なる排気量の定義や高出力のロータリーエンジンの信頼性などで物議を醸したようです。

マツダシャンテ
マツダシャンテ

シャンテの発売も1976年まで、東洋工業も当時ロータリーエンジンや小型車の開発にリソースを集中するため、軽自動車を開発する余力がなく、ホンダと同様に軽乗用車事業から一時的に撤退しました。

上記のようにホンダと東洋工業は、社内事情から軽乗用車市場からは撤退しましたが、ホンダはT360やホンダTNシリーズ、マツダはポーターなど軽トラックを中心に市場で一定の需要が期待された軽商用車については、販売をその後も継続しました。

(文:Mr.ソラン 写真:スバル、三菱自動車、ダイハツ、マツダ、ホンダ、モーターファン・アーカイブ)

第19回に続く。


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第4章 排ガス規制と2ストロークエンジンの危機

その1.軽自動車の勢いを失速させた排ガス規制とオイルショック【第15回・2020年8月15日公開】
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その3.最後まで2ストロークにこだわった鈴木自動車【第17回・2020年8月17日公開】

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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