■前代未聞の6輪F1マシンが鈴鹿サーキットにやってくる!
11月16日(土)、17日(日)に鈴鹿サーキットで行われる「SUZUKA Sound of ENGINE」に向けその道の先輩方に参加マシンやドライバーについてお話を伺っていますが、今回はF1解説でお馴染みの小倉茂徳(おぐら しげのり)さんに1976年に現れた伝説の6輪F1マシン、Tyrrell P34ついて教えてもらいました!
—小倉さん、よろしくお願いします! まず最初に、50代の編集長から「これだけは聞いてこい!」と言われたことがありまして。編集長が子供の頃日本では「タイレル」と読まれていて、それがいつのまにか「ティレル」になったそうですがホントはどう読むのでしょうか?
「現代の読み方『ティレル』が正解です。『タイレル』はアメリカ英語的な読み方で、常用でのアメリカ英語の影響が大きかったと思います。いつ『ティレル』になったかははっきりとは分かりませんが、恐らく読み方の違いに気付き次第に変わっていったのだと思います」
—なるほど。早速編集長に伝えますね! ではTyrrell P34は一体どのようにして誕生したのでしょうか?
「当時はフェラーリとリジェとブラバムを除く全チームが共通のエンジンとギヤボックスとタイヤを使用していて、チームがライバルに差をつけるには車体しかなかったんです。今でもそうですがタイヤをいかに上手く接地させるかが大命題で、当時のダウンフォースはウイングと車体上面の形のみで決まっていました(車体底面でのダウンフォースは1977年から)。そこで生まれたのが小さな前輪。前輪を小さくしてフロントノーズの影にタイヤを隠すことで、空気抵抗が減りダウンフォースを得られるのではないかと考えられたのです。しかしこれでは接地面積が減ってしまうので、タイヤを前輪に4個付けて補おう!と発明されたのがTyrrell P34です」
—現代のF1では考えられないですが、当時はマシン開発の規制は緩かったのですか?
「緩かったですね。当時のレギュレーションブックはF1、F2、F3と1冊にまとめられているくらいでしたからね(笑)。スマートさには欠けますが、メカ的に面白そうで魅力的なマシンでした。1976年に映画『RUSH』で描かれていた日本初開催のF1世界選手権イン・ジャパンが行われ、話題の中心でしたし第一次F1ブームが訪れたんですよ」
—小倉さんは現地に観に行かれましたか?
「中学生だったので行けませんでした。当時はTyrrell P34の写真入りの文具やポスターなどが売られるくらい子供達にとってアイドル的存在で、僕は下敷きを持っていました。あと電動のラジコンカーも売っていましたね。先日のF1日本GPの台風の日、ロマン・グロージャン(ハース)が作っていたタミヤの1/20プラモデルもあって、これがタミヤの1/20 F1シリーズの始まりでした。もっと大きな1/12スケールだとカウルが取れたのですが1/20だと組み立てやすいように取れなくなっていて。でも当時の少年にはお金がなくて1/12は買えなかったので、1/20を切り刻んで当時多数出ていた専門誌のF1特集号などを見ながらカウルの中はどうなっているのか自作しようと試みました。途中で息切れしてやめちゃいましたけど、あれはやるもんじゃないですね(笑)」
—凄い!その研究心が今の小倉さんにつながっているのですね。Tyrrell P34の走りで、印象に残っていることはありますか?
「1976年のスウェーデンGPで、1-2フィニッシュをしたことですかね。富士の雨のレースでも2位に入りました。あとはモナコGP。2-3フィニッシュで、いかにコーナリングに優れていたかよくわかりました。現役時代から20年あまりしてGoodwood Festivalで実際にTyrrell P34が走行している姿を見ることができたのですが、それは設計者のデレック・ガードナー自らがそのアイディアの正しさを実証すべくエンジニアを務めていました。ヒストリックレースでおなじみのタイヤメーカーのエイヴォンに作らせた特製タイヤを着けたTyrrell P34は、本来のステアリングをきる度に前輪がコーナーに向かって勢いよく曲がり込むような動きでした。『あっ、これは確かにスウェーデンのような曲がりくねったコースでは強いよね』と思いましたね」
—翌年(1977年)は、結果を残せなかったんですよね…。
「2年目はミシュランの参戦があり、これに対応したグッドイヤーがタイヤ開発を進めました。ところが、Tyrrell P34にだけしか使えない小さな特製フロントタイヤは開発から取り残されてしまったんです。するとTyrrell P34は、フロントタイヤが1976年仕様、リヤタイヤが開発の進んだ1977年仕様というアンバランスな状態で、とくにフロントの動きが悪くなり、6輪マシンの利点がなくなった。逆にステアリング機構が2組あるなど、重さのデメリットが目立つようになってしまいました。それとともにチーム内の雰囲気も険悪なものとなり、開発者のデレック・ガードナーが1977年を最後にF1の世界から去ったことでTyrrell P34の未来は断たれることになってしまったんです」
—1983年には「車輪は4輪まで」とレギュレーションが変わり、F1 でその姿を見ることができなくなってしまいました。もしレギュレーションが変わらなくて当時のように規制が緩かったら、現代にも6輪マシンは存在していたと思いますか?
「うーん、難しいなぁ。今はシンプルなデザインが好きですけどね。でも『前輪か後輪を4輪にしよう!』という考えはありだと思うし、夢がありますよね。今のF1マシンはファクトリーでコンピューターなどを使って分析しながら大勢のスタッフで造っていますけど、当時はチーフデザイナーが製図版に向かって手で図面を描いて設計し、風洞実験も実物の1/4位の小さな模型でやっていました。車体もメカニック数人で組み立てていました。だからなにもかも凄く大まかなものでしか分からなかったんですよね。その人の感覚や経験が左右していたので、マシン開発はサイエンスのようでサイエンスじゃない。まさに『走る実験室』だったんですよ」
—「SUZUKA Sound of ENGINE」では世界屈指のTyrrell P34コレクター、元F1ドライバーのピエルルイジ・マルティニが所有するTyrrell P34を東コースで走らせます。どこで見たら、よりマシンの性能を知ることができますか?
「Tyrrell P34はコーナリングマシンなので1、2コーナー〜S字〜逆バンク〜ダンロップでどのような走りと動きをするか見物ですね。タイヤは現代のエイヴォン製のはずなので、Tyrrell P34本来の独特な動きが出せるはずです。サーキットを1周できたなら、最終シケインなどのタイトなコーナーでの動きも見てみたいところでしたね。あとはストレートで、フォード・コスワースDFVエンジンの良い音が聞こえるはずです!」
「ちなみに今回来日する車両は1977年仕様のはずで、そうなるとパトリック・ドゥパイエかロニ・ペッテルソンのマシンになります。ドゥパイエはこのTyrrell P34で2シーズン活躍したドライバーです。ペッテルソンはロータスやマーチで大活躍した名ドライバー。でもタイヤが上手く機能してくれなかった1977年のTyrrell P34ではその活躍と豪快なドライビングを見ることができませんでした。どちらのマシンが走行するか分かりませんが、このようなストーリーを知ってから見るとより楽しめるかもしれませんよ」
小倉さん、ありがとうございました! 伝説の6輪F1マシンの走行はもちろんですが、近くでじっくり見て開発者の想いを感じたいと思います☆
【小倉茂徳さんプロフィール】
1987、1988年にホンダのF1の現地広報スタッフを担当。
1995年以降フリーの立場となり、記事執筆のほか、現在もF1、F2、F3(DAZN)、Indycar(GAORA)、WECとフォーミュラEと富士10時間(J Sports)などの解説。子供向けにレーシングカーのしくみを説明するイベントで講師も務める。
(yuri)
【関連リンク】
「SUZUKA Sound of ENGINE」オフィシャルサイト
https://www.suzukacircuit.jp/soundofengine/
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