来年は36回目のパリ・ダカ挑戦。菅原義正氏をとらえて離さないトラックの魅力とは?【クルマ塾】

【ガソリン自動車のほか、蒸気機関や電気自動車も参戦】

規則としては、スタートからゴールまではノンストップ。パリからボルドーを往復する競技だと1200kmを走るということで、乗員の交替、運転手さんとかメカさんの交替は自由になってたそうです。それで優勝するためには4座席以上のクルマじゃないといけなくて、その座席分だけ、つまり4人以上乗んないといけないレギュレーションだったそうです。制限時間は100時間。100時間以内にパリに往復して戻ってこなくてならないという決まりがあったそうです。

面白いのが動力源なんですけども、ガソリンエンジンの自動車、それから蒸気機関、つまり鉄道のようなものですね。それから電気自動車、この時代電気自動車があったのですね。この3つの動力が入り混じって、どのカテゴリーが勝つか分からなかったそうです。

実際に走らせてみると蒸気機関のほうが歴史が古いということもあって、実際は速かったそうです。ところがあれは水を一杯持って、燃料もいっぱいもって、水蒸気をおこして動力にするんで、しょっちゅう水を補給しなくちゃいけないんですよ。タンクに。それであちこちの川によって水を汲んだりするので、単純なスピードは速いんですけども、結局はガソリン自動車が勝っています。

【空気入りタイヤの宣伝のためミシュランも参戦】

もうひとつの電気自動車は、最後まで走れなかったんですけども、後になって世界陸上最高速度記録を樹立したのは、この電気自動車だったそうです。(記事には)「ヘッドライトはろうそくか石油ランプ」って書いてあるんですけども、これちょっと間違えかなと思うのです。ろうそくじゃ難しいんですね。

みなさんカーバイトって知らないでしょうけれどもカーバイトって砂糖の塊みたいなのがあるんですよ。それをある入れ物の中に水をいれて反応させるとガスが起きるんですね。そのガスをパイプで引っ張って前のほうで点灯させるんですが、ガス灯ですね。私がそれが本当なんじゃないかと思います。

この頃にはもう空気入りタイヤがありました。それをミシュラン兄弟社という会社が作ってたんですが、そのタイヤの宣伝のために、ミシュラン兄弟社もレースに1台クルマを出したそうです。それまでのタイヤはソリッドっていいまして、ゴムの塊を付けたり、鉄板を巻いたりしてたんですが、砂利道やら舗装してない道が多かったですから、空気入りタイヤというのは画期的だったと思います。

【ゴールを記念したポルト・マイヨーの石像は必見!】

レースのゴールなんですけど、帰ってきてヴェルサイユ宮殿に一回着いて、それから凱旋門の外側に環状線があるんですけども、そこをポルト・マイヨーと呼んでいるんですね。今度チャンスあったら行っていただきたいんですけど、ゴールした時の様子が、大きな石像に掘ってあります。公園の石像に掘ってありますんで、チャンスがあったらぜひそこを見られたらいいと思います。

ただこの石像なんですが、残念なことがあります。当時エンジンかけるときにはクランクって棒を手で回してたんですね。で石像にもクランクの跡があるんですが、誰か蹴飛ばしたのか、根元で折れてましたね。

レースに参加した人で面白い話があります。蒸気自動車なんですが、ボレーさんという人が作った蒸気自動車が1台だけ完走したんですね。このボレーさんという人はル・マン出身で、アメデ・ボレーっていう人なんですけど、もともと教会の鐘を作るのが専門で、鉄を溶かしていろんなものを作るのが上手だったんだそうです。その彼が蒸気自動車を普及させるんですけれど、もっとすごい話があります。

この記事の著者

角田伸幸 近影

角田伸幸

1963年、群馬県のプロレタリアートの家庭に生まれる(笑)。富士重工の新米工員だった父親がスバル360の開発に立ち会っためぐり合わせか、その息子も昭和期によくいた「走っている車の名前が全部言える子供」として育つ。
上京して社会人になるも車以上に情熱を注げる対象が見つけられず、自動車メディアを転々。「ベストカー」「XaCAR」で副編集長を務めたのち、ポリフォニー・デジタルにてPlayStation用ソフトウェア「グランツーリスモ」シリーズのテキストライティングに携わる。すでに老境に至るも新しモノ好きで、CASEやパワートレインの行方に興味津々。日本ディープラーニング協会ジェネラリスト検定取得。大好物は豚ホルモン(ガツとカシラ)。
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