来年は36回目のパリ・ダカ挑戦。菅原義正氏をとらえて離さないトラックの魅力とは?【クルマ塾】

●自動車レースの歴史からパリ・ダカの魅力へ

【1979年に始まったパリ・ダカールラリー】

皆さん、こんにちは。ご紹介いただいた菅原義正です。今日はよろしくお願いいたします。

私はパリ・ダカール・ラリーを始めて30数年が経つのですが、まず、パリ・ダカールがどんなものかご存知ない人も多いので、ちょっと昔に戻ってパリ・ダカールってどんなものかご説明させてください。

1979年なのでいまからほぼ40年前ですが、フランスの首都パリからセネガルの首都ダカールまで、自動車やバイクで走ろうという競技を、ティエリー・サビーネという人が考えました。この後は端折っていいますが、8年目に主催者のティエリー本人がヘリコプターの事故で競技中に亡くなってしまい、そのあとには、テロに巻き込まれたり、アフリカのほうで問題が起きたりします。

2008年には、我々はポルトガルに集結して、リスボンからダカールまで行こうという競技だったんですけど、あまりにもテロがひどすぎるということでこの年は中止になりました。それで2009年から場所を南米に移して、以降は南米で開催されることになりました。

【世界初の自動車レースはパリ・ボルドーの公道競技】

今年、自動車レースで一番のニュースだったのは、トヨタさんが、日本人の乗った日本のクルマでル・マン24時間に優勝しました。またWRC(世界ラリー選手権)で、こちらもトヨタさんが優勝しています。現在では、こういうふうにいろんな自動車レースがあるんですけれども、ここで、世界最初の自動車レースがどんなふうにできたのかということをお話ししたいと思います。

カンニングペーパーをいっぱい作ってきたんですけど、お待たせしてすみません(笑)。ある新聞に書かれていたのですが、いまから123年前に、世界初の自動車レースが始まりました。1895年6月11日。パリからスタートしてボルドーまでを往復をしようというのが、今から123年前に初めて行われた自動車競技といわれております。

この競技に参加するために、23台のクルマが凱旋門に集まったそうです。そこから朝10時頃ゆっくりスタートしてヴェルサイユに向かいました。それでヴェルサイユ宮殿からスタートして、というのもパリの街ですと町の中が混んでますので、空いているヴェルサイユから競技が始まったと書かれています。

この記事の著者

角田伸幸 近影

角田伸幸

1963年、群馬県のプロレタリアートの家庭に生まれる(笑)。富士重工の新米工員だった父親がスバル360の開発に立ち会っためぐり合わせか、その息子も昭和期によくいた「走っている車の名前が全部言える子供」として育つ。
上京して社会人になるも車以上に情熱を注げる対象が見つけられず、自動車メディアを転々。「ベストカー」「XaCAR」で副編集長を務めたのち、ポリフォニー・デジタルにてPlayStation用ソフトウェア「グランツーリスモ」シリーズのテキストライティングに携わる。すでに老境に至るも新しモノ好きで、CASEやパワートレインの行方に興味津々。日本ディープラーニング協会ジェネラリスト検定取得。大好物は豚ホルモン(ガツとカシラ)。
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