RSヤマモト初最高速挑戦は82年9月号、ジャパンで244.48km/hを記録!・・・七回忌の山本豊史さんを偲んで。

心中に秘めたる目標は、オーバー300km/h!

彼はさらに続ける。圧縮比とブースト圧と点火タイミングの関係、燃焼室形状、バルブとバルブシート、カムの形状、ブロックのひずみ、ボーリング加工のノウハウなどの、エンジン本体の組み方のコツと、その理屈。タービンの設定、チャンバー形状、キャブの改造、吸気の流速、ウエイストゲートのチューニング加工etc.・・・。それにも人を納得させるだけの理由がある。思わずウナらされるコロンブスの卵的発想もある。

山本は大変は学者だ。そう感じさせる。細かいセッティングがひとつひとつ、確実にパワーをアップさせ、このニューZは(1982年)9月のカーポイント誌テストで、ついにL型ターボ最速の274.80km/hをマークする。Zオーナーの平田さんは言う。「とにかく、セッティングを変えるごとにドンドン速くなっていきましたよ。凄いもんです。あそこをイジった、というとポンと10km/h近くのびる。次をやると、また5km/h分パワーアップする。そうやってパワーと戦ってきて、ふと気がつくと、290km/hが出てた、という感じですね」。山本は続けて言う。「だから、日本一とか何とか、そんな実感は全然無いですよ。見てもらって分かると思うんですが、別にウチのエンジンは変わったパーツはひとつも使ってない。タービンもHKSから買ったA/R0.96のもんだし、カムもピストンも国産のチューニングパーツ。本当に細かくひとつひとつを詰めていっただけなんですよ。だから何台でも多分作れるだろうし、逆に誰にだって作れると思いますよ」。山本と日本一の座を争う雨宮も、以前まったく同じようなことを言っていた。険しいチューニングの峰を極めた者のみが語れる余裕なのだろうか。技術は誇っていても、決してウヌボれてはいないことも、両者に共通する特徴だ。

山本の頭の中は今、最高速テストのセッティングでいっぱいだ。ファイナルを下げ、5速のギヤ比を大幅アップしてトライする予定だという。彼のツナギのポケットからは、各ギヤ比で計算した最高速のメモが出てきた。5速6000rpm=294km/h、6100rpm=299km/h、そして・・・。山本の理論+実践のチューニングは、確実に国産初の300km/hの壁に近づきつつある。あるいは一気に突破する“驚異”も夢ではない。(1982年)11月25日、本誌最高速テストに全力でチャレンジするRSヤマモトZの記録が気になる!

[OPTION1983年1月号より]

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この時点で、他誌により290km/hオーバーを果たしていたRSヤマモトZ。OPTテストではなかったのがちょっと・・・クヤシイ!?

山本さんって見た目、ホントに怖そうで頑固そうで気難しそう? 昔はホント、見た目同様に厳しい方でした。が、晩年・・・というか90年代後半にもなると、お歳を召したためか?丸くなられ、OPTのペーペースタッフだった私にも、チューニングから人生から、いろんなことを教えてくださったし、親しくもしていただきました。それは、取材する私たちはもちろん、他ショップの若いチューナーの方に対してもそうだったようです。「山本オヤジには、ホントいろいろお世話になったんだよ。チューニングでも何でも、しっかりと教えてくれたしね!」、そんな声をよく耳にします。面倒見がよかったから、当然といえばそうですね!

この後、RSヤマモトの活躍は、谷田部最高速はもちろん、ボンネビル・スピードトライアルへも挑戦! もちろん、ココでも紹介していきます。

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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