F1女子おススメ! 往年の名車が集うモータースポーツヒストリックイベント「SUZUKA Sound of ENGINE 2016」とは?

【カテゴリー2】 日本のモータースポーツの原点 〜プリンスが生んだ純国産レーシングマシン“R380”〜

■ 1966年 R380(A-I型)

R380

1964年に鈴鹿サーキットで行われた、第2回日本グランプリ自動車レース大会で敗れたプリンス自動車は、打倒ポルシェを目指して日本初のプロトタイプカーR380を開発。直列6気筒エンジンをミッドシップに搭載した流麗なスタイルには、誰もが驚きを隠せなかったそうです。1966年の第3回日本グランプリでポルシェ906と対決。見事優勝し雪辱を果たしました。

【カテゴリー3】 Formula of LEGEND

1987年鈴鹿サーキットで初めて開催されたF1グランプリは大きなブームを巻き起こしましたが、F1が始まったのは1950年。 古い歴史の中で数多くの名車が生まれ、数多くの名勝負、ドラマが生まれました。長いF1の歴史の中で独創的、革新的な技術が次々 と生み出された、1970年代から1980年代に参戦したマシンが鈴鹿サーキットに集います。

■ 1975年 Ferrari 312T

Formula One World Championship

フェラーリ312Tの「T」の由来となった横置きギアボックスを搭載したのを始め、独特なフロントウイングと独創的な機構を満載し たマシンです。ちなみに、「T」は横を意味するTrasversale(イタリア語)の頭文字。1975年はニキ・ ラウダが5勝、クレイ・ ガッツォーニが1勝し、ニキ・ ラウダのドライバーズととも にコンストラクターズチャンピオンも獲得し、ダブルタイトルに輝きました。

■ 1982年 Alfaromeo 179C

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1976年、チームにエンジン供給する形でF1に復帰したアルファロメオは1979年からワークスチームとして参戦。水平対向12気筒からV型12気筒エンジンへ換えた179を投入し、1981年には1978年ロータスでチャンピオンとなったマリオ・ アンドレッティがチームに加わりました。1982年にかけてアルファロメオは179C、179D、179Eと3種類のマシンを参戦させ、1981年の最終戦ラスベガスGPでアンドレッティが3位入賞。アルファロメオにF1復帰後初の表彰台をもたらせたのです。

※ 参加決定車両: Tyrrell 006 (1972年)、Venturi LC92 (片山右京車/ 1992年) 、Wolf WR1 (1977年)

この記事の著者

yuri 近影

yuri

2006年のF1日本GPを観に行ってから、どっぷりF1&ジェンソン・バトンにはまってしまったF1女子。F1が大好きですが、車の運転は下手(小林編集長お墨付き)、メカニズムも苦手、だけどドライバーの知識と愛だけは自信あり! もっと気軽にF1を楽しんでもらいたい、好きになってもらいたいという気持ちで執筆活動をしています。
趣味はバトンの追っかけと、F1海外観戦。現在は新米ママとして子育てに奮闘しながら、のんびり記事を更新中。あたたかーい目で見守っていただけると嬉しいです。
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