自伝的・爺ぃの独り言・08  星島 浩 <最新版ザ・ビートルと大昔のかぶと虫>

【MONDAY TALK by 星島浩】 ニュー・ビートル改めザ・ビートルを横浜市内と第三京浜で試乗。

 スタイリング&デザインは先代モデル=ニュー・ビートルを継承したが、近づくと全長・全幅が明らかに大きく、ホイールベースも延ばして居住空間と後部ラゲッジスペースを拡大したと分かる。

 むろんFF設計。エンジンは1.2リッターSOHC2バルブターボで、ポロというより同じメキシコ工場で造られるVWジェッタと機械部分を共通化したと考えられる。最高出力77kW、最大トルク175Nmは、今に照らすと斬新技術に遠いと言うべきだが、先代ニュー・ビートルが用いたアイシン製6速ATを7速DSGに変更。バトルシフトを採用したのは、スポーティなシリーズ最高機種に限るらしい。

 無理やりFF設計に転向したため違和感を覚えた先代のダッシュボードが自然に納まったほか、内装にボディ同色バネルを起用、革製シートや同シフトノブを標準装備する。試乗車は303万円。安くないが、個性を演出したいユーザーには独特の存在感が魅力。ニュー・ビートル同様、2代目も日本ではイエローボディが好まれるのかしら。

 2ドアなのでリヤシートに乗り込むのは容易じゃない。それでも足を踏み入れる後席フロアが広くなったのはプラス。当然、座った膝の前に数cm余裕が増えた。それより感心したのは頭上だ。ニュー・ビートルだと身長170cm程度でも、リヤウインドウに髪が触れたのに、ザ・ビートルはリヤヘッダー部分を凹ませると同時に窓を遠ざけた。運転席からリヤウインドウを通じての後方視界も格段向上している。

 ラゲッジスペースは300リットル。絶対値が大きくないし、ゴルフ・キャディバッグもここには収まらないが、先代は200リットルしかなかった。

 試乗して動力性能に不満は覚えない。スポーティと言われても、そんな気分にはならないが、操縦性・安定性には満足。先代と比べて静かになったのと、市内はともかく高速寄りで乗り心地が良くなった。

 さて、ビートルで思い出すのは、やはり昔の「かぶと虫」だ—-車内で、平均80歳を数える仲間3人の懐旧談が絶えることはなかった。

 私が知るのは1950年以降。当初は米国ビッグサイズが都心を闊歩していた。これに英国車、フランス車が加わり、スウェーデン車を見かけるようになった頃、VWかぶと虫が現れる。

 

 

 戦勝国は当然として、日本と同じ敗戦国の乗用車が、みるみる増えていくのは、頼もしいというか、悔しいというか。感慨を覚えた。

 多く見たのはタクシーだ。シトロエン2CVでさえタクシーに使われたのだから不思議じゃないが、やはり客が近づくと、運転手が降り、ドアを開けて導く。荷物は後席か、多くは助手席に積んだ。

 なにせ1933年にポルシェ博士が開発着手。ヒトラー首相の庇護もあり、文字通りVOLKS WAGEN=国民車と名付けられた「かぶと虫」である。

 大戦後いち早く量産体制を整え、欧州諸国のみならず、北米や日本にも輸出。西ドイツ(当時)復興の稼ぎ頭になったもの。窓ガラスなど外装は随時、細かく改善されたものの、基本設計は変わらず、空冷水平対向4気筒リヤエンジン。当初1000ccだったが、私がハンドルを握らせてもらえたのは1100ccを経て1200ccに増えた頃。すでにヤナセが代理店だった。やがてスタイルはそのまま、アメリカ市場を意識して1600cc弱に増量、3速セミオートマチックを組み合わせた機種が加わり、モーターファン・ロードテストでお手伝いしたのを憶えている—-かったるくて、やけに音がうるさかったっけ。

 その少し前。1200cc車で箱根ドライブに行くと平尾収・東大教授に告げたら「もう冬だから膝掛け毛布を用意したほうがいい」と教わる。なるほど、上り坂は窓を開けたくなるほど温かいのに、下り坂ではまるでヒーターが効かず、先生のご助言が身に染みたのを思い出す。

 フォードを破る累計1500万台を達成。1973年のオイルショック直前にFF設計のVWゴルフに転向したが、かぶと虫には根強い人気があるとして、メキシコやブラジルで現地生産が続いた。

 しかし時代が排ガス浄化、騒音低減、衝突安全を求めるに至り、ついに終焉を迎える。それでも、ゴルフの機械部分を生かしながら「かぶと虫」のスタイルにとことん「こだわって」1998年、メキシコで生まれたのがニュー・ビートル—-案の定、アメリカの退役軍人などに大好評で、以来14年ぶりのモデルチェンジ版がザ・ビートルというわけだ。★