昔の未来は現実になった? EVもハイブリッドも自動運転もない1955年から見た自動車の未来予測を検証

■イタリア・トリノで行われた「25年間の自動車」がテーマの講演会

●あなたの描く21世紀像はどうでしたか?

21世紀に突入してから早くも20年余が過ぎたわけですが、筆者にとって21世紀とは「未来」でした。

みなさんよくご存知のドラえもんは2112年9月3日生まれ。22世紀から1970年の時代にやってきたネコ型ロボットですが、のび太の将来をタイムマシンで見に行く話のときなどには21世紀の舞台も登場します。

「ドラえもん」の影響を思いっきり受けたのでしょう、1974(昭和49)年8月生まれの筆者は、21世紀になると人々は銀色のぴたぴたスーツをぴったりまとい、自動車からはタイヤが消えて路面を浮いて滑走、「東京」は「トーキョー」に変わり、街での徒歩は透明のチューブの中の移動に変わるものだと思っていました。

この頃は「21世紀が近づくにつれ、そして21世紀になって以降も、自分たちの生活は良くなるようにしかならない」と思っていたものです。

現実はどうか。流行の違いはあれど、ひとびとの姿はそう大きく変わらず、自動車はいまだにタイヤ4本で走っており、「東京都」は「東京都」のまま。

筆者は2004年に東京に出てきましたが、いまのところ周囲に透明のチューブは見当たらず、建設される予定もなさそうです…「あれぇ、おかしいなあ?」と思っているところ。

それどころか、日本人の暮らしぶりは決定的に下がりました。いや、生活は便利になったのですが、それと同時に不便な部分も増えて暮らしにくくなりました。そればかりか、政治、経済&増税に次ぐ増税、労働環境etc…

あの頃、21世紀の日本がこんな惨憺たることになるとは思ってもいませんでした。

●1955年から見た1978年のクルマの姿

motorfan 1955 1
タイトル「25年後の自動車」

今日にとっての過去だって、昔にとっては明るい未来。日本の現状はともかくとして、今回は昔のモーターファンに載っていた自動車の未来像についての記事をお見せしましょう。

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モーターファン 1955(昭和30)年1月号。本の発売は1954年11月だ。

今回登場するのは、モーターファン1955(昭和30)年1月号。この中で、「25年後の自動車」をタイトルとする記事が2ページに渡って掲載されています。

2021年のいまも存在しているかどうか定かではないのですが、記事の冒頭ではスペイン自動車協会(STA)の会長・リカート氏がイタリアの自動車協会の招きにより、イタリアはトリノで「25年間の自動車」と題した講演を行ったと述べています。

その講演内容は、1903年を起点に1978年までを 25年ごと3節に区切り、講演時から25年後、すなわち1954年から78年までの第3節を、当時としての現在から見た自動車の未来予測に着目したというものです。

その予測項目数、10点。ひとつひとつの予測を当時の表現そのままに抜粋し、いまの目で見て当たっているかどうかを、勝手に「◎」「○」「△」「×」とえらそうに評価してみましょう。

【今後25か年の発達予想】

1.コンプレッサー(予圧器)の採用

“コンプレッサを一般常用化すべきや否や”は今日はまだその予備判定の時期で、採否の決定は丁度“競い合い”の状態にあるようである。しかし、将来は恐らくこれは採用されるものと予想され、この採否の決定は今後の自動車技術に重大な影響と意義をもつであろう。

L20ET
日本で初めてターボが備えられたL20ETエンジン。
L20ET turbo
L20ET用ターボチャージャーの透視図

(評定)
「コンプレッサー」が何を指すのか。マツダがミラーサイクルエンジンに起用した「リショルムコンプレッサー」も含めた、ターボやスーパーチャージャー技術なら、25年以内に実現できていないので╳。

ただし空調のコンプレッサーなら、1978年よりも前から自動車用クーラーが生まれているので◎。

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初のターボエンジン搭載車・日産セドリック(1979(昭和54年))

あ、いや、でも、初のターボ車、日産セドリック(とグロリア)の発売は1979年であまりにも惜しいから、やっぱり○にしておこうかな。


2.燃料の改良進歩

自動車用燃料は更に改良進歩し、エンジン馬力の向上は当然予想される。

(評定)
ガソリンは1970年代のアメリカに端を発した排気ガス規制(マスキー法)を背景に無鉛化されているので◎。また、1978年以降から現在までを長期的に見ると、いまの軽油は硫黄分がだいぶ取り去られています。

3.燃料の供給方法の趨勢

ガソリンエンジンでは燃料を気化器で気化して供給しているが、現在のこのやり方を離れて、恐らく広い範囲に亘って“燃料噴射ポンプ”の採用に移行し、気化器はすたれるであろう。

GDI
量産車としては世界初の筒内噴射リーンバーン、4G93型GDIエンジン(1996年)。

(評定)

燃料噴射装置の変遷はいろいろあり、世界的にはまず機械式燃料噴射で始まり、次に電子制御燃料噴射に至ります。

日本車の場合は電子制御燃料噴射装置がたまたまいすゞ117クーペの「ECGI」が初(1970年)で先行し、その少しあとにホンダが145クーペに機械式燃料噴射「FI」を用いました。

以降、各社少しずつ電子制御燃料噴射装置を採り入れましたが、1978年の時点では上級寄りの一部のクルマに限られており、まだまだ気化器(キャブレター)が主流だったので△。

三菱自動車が、エンジン技術者長年の夢だった筒内直接噴射をギャランの「GDI」エンジンで一番手を決めたのは、電子制御燃料噴射がおおかた一巡した1996年のこと。同年末にトヨタがコロナプレミオの「D-4」で追いました。

三菱のGDIは量産車としては世界初、そしてリーンバーン(希薄燃焼)としても世界初のもの。実は直噴そのものはギャランのはるか前の1950年代にベンツがすでに実現しています。キャブレターのすたれは時期が外れていて、日本では1990年代まで続いていたので△。

4.高出力、静粛なエンジンと冷却方式

6気筒や8気筒のエンジンでは、更に高出力になり、静粛なものになるであろう。従つてその冷却方式には、やはり今日と同様な“液冷式”が主流をなすと思われる。しかし、小馬力のエンジン(註 気筒容積の小さいエンジン)では“空冷式”が相当の範囲にまで利用されることは確かであろう。このことは、空冷式が今日の段階で既に安全確実の点や冷却能力の点で認められていることから予想できる。

2nd crown 6cylinder
直列であれV型であれ、クラウンといえば6気筒だが、意外にも初搭載は2代目になってからだった。実は初代クラウンがベースのパトカー仕様・トヨタパトロールにはランクル用の3.8L6気筒が搭載されている。
2nd crown
2代目クラウン(1962(昭和37)年)

(評定)
このあと、日本では6気筒エンジンは2代目クラウンに、8気筒はクラウンエイト、そしてその発展版・センチュリーに搭載され、代が進むにつれてより高出力化しているので◎。

crown eight v8
クラウンエイトに搭載されたV型8気筒エンジン。これは後にセンチュリーに置き換わる。
crown eight
クラウンエイト。

空冷エンジンの広まりについては、排気浄化のキーになる温度管理に難があるために空冷は消えましたが、1955年時点で大気汚染が問題になるとは思っていなかったでしょうから、ここでは評定なしとしましょう。

5.ガスタービンは実用の域に

ガスタービンで一番問題になるのはタービン翼用の材料であるが、この点に関しては、今日既に実力のあるメーカーが研究を進め、安価で加工の容易なものを得ている。タービンの他の部分の製造はタービンと同じクラスのエンジンを製造する費用に比べたら、タービンの方が遥かに低い賃金で製造することが出来る。従つて、今後25カ年以内に恐らく、250馬力乃至500馬力級のトラックやバスやパッセンジャーカーには、ガスタービン機関が採用されるであろう…。

(評定)
ガスタービンを動力とする自動車は、1970年代にトヨタがセンチュリーで研究車を公開したした例はあるものの、実用化には至っていないので容赦なく╳です。

6.自動変速装置の発達

中馬力の標準車は“トルクコンバータと自動切り替え装置”を備えるに至るであろう。更に、流体による完全な力の伝達装置が完成されるであろう。その場合エンジンは1個のポンプに連結し、このポンプは4個の流体駆動装置に作用を及ぼし、各駆動装置はそれぞれ担当する車輪を直接駆動するに至るであろう。それがため、今日の効率の低い静水力学的トルクコンバータは更に改良されなくてはならない。

crown 1900 deluxe
国産初のAT搭載車、初代クラウン(当時の1960年版カタログより)。
1960 crown deluxe
当時のカタログより。

(評定)
要するにトルクコンバーターを使ったATの予測です。初めの方を見て「おっ、ドンピシャかな?」と思ったのですが、想像している構造が現実と異なっている!

1960 crown deluxe toyogride 3
国産車にATが初搭載されたのは初代クラウンの1900車で、商品名「トヨグライド」と呼ばれる2速のATだった。

いまのトルクコンバーターは、ポンプインペラー、タービンランナー、その間に存在するステーターの3つから成る、3要素1段2相式と呼ばれるものが主流ですが、リカートさんは4輪それぞれを担当するトルコンを備え、その先に車輪を制御する駆動装置を予想しています。

リカートさん本人は気づいていないと思うのですが、これはトルコンATどころか、機能としては4輪を完全に個別制御する4WDを発想しているのです! となると、これをいま実現しているのはEVによる4WD。

nissan ariya e-4orce
4輪個々を独立して制御する完全電気自動車のひとつ、日産ARIYA e-4ORCE。

構造の予測は╳ですが、2021年現在、各社がようやくチョイ出しし始めているEVの4WDの機能を、なんと1954年の時点で予測しているので◎を100個差し上げてしまいましょう。

7.根本的に変るか? 制動装置

今日の制動機構は制動摩擦板式であるが、これは根本的に変更されるであろう。その新しい機構は“表面摩擦”を伴わないもので、制動による発熱は完全に消されなければならない。

(評定)

摩擦を伴わないブレーキ…これはプリウスなどのハイブリッド車で使われている電子制御ブレーキとして実現しています。

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2代目プリウス(NHW20)の電子制御ブレーキのシステム図。
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2代目プリウス(NHW20)

プリウスのブレーキは、各世代によって少しずつ違いはあるものの、ペダル踏力の強弱は、走行中は回生ブレーキの強弱に現れ、停止直前で従来の摩擦式ブレーキに切り替わります(駆動輪のみ)。

結局は摩擦式を捨てきれないのですが、多くを回生ブレーキに頼る分、パッドの減りが在来型のブレーキよりも格段に少ないという利点があります。

リカードさんの予測、さすがに25年…1978年までというわけにはいきませんでしたが、完全とはいわないまでもある程度予測が当たっているので○ですな。

8.空気装置を用いた懸架装置

懸架装置は当然一段と進歩するであろう。今日一般に使用されているショックアブソーバは不充分であるから、これは改良されるであろうし、更に弾力性のある圧搾空気装置を用いるようになるであろう。

2nd soarer air suspention
世界初の電子制御式エアサスペンションは、2代目ソアラに起用された。
2nd soarer
2代目ソアラ(1986(昭和61)年

(評定)

サスペンションの予測です。ショックアブソーバーはその後、可変式や複筒式の倒立型、微振動を吸収する仕掛けが採り入れられたりなどいろいろと進化。

「圧搾空気装置」とは、つまりはエアサスペンション。これはごく一部の高級車への採用にとどまっています。ただし25年以内でとはいえないので、トータルで見て○ですかね…

9.ボデイとその材質

ボデイを構成する材料の範囲が一層広くなるであろう。人造樹脂系や軽材質のものが次第に取り上げられる。又そのスタイルにおいても、無用で美的でないような装飾類のものが逐次省かれて行くことを希望する。

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フロントフェンダーに「人造樹脂」を使ったバラードCR-X(1983(昭和58)年)

(評定)

クルマは随時低燃費と軽量化を図りながらここまできました。ただし材料の置換や使用量を抑えながらも現実には昔のクルマよりも大きくなっている分、重くなっています。主に対衝突要件を満たすための安全対策によるもの。

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ボディ全体が、アルミという「軽材質」のもので構成されたホンダNSX(1989(平成元)年)。世界初の快挙だった。

正しくは、材料を変えることで、安全のために大きくした割には燃費も重量も従来並み、あるいは大きく重くしたほどには燃費は悪くなっていないというべきでしょう。

25年で大きく変わったというわけにはいきませんでしたが、樹脂やアルミが多用されてきてはいたので○。安全対策のために結果的に軽くなっていないのはリカードさんの予測外れとはいえません。

10.前照灯には偏光灯を

前照灯には偏光灯の使用が期待される。この光はこれに適応する前鏡と共に、幻惑(げんわく)を消すのである。

crown eight auto light sensor
1963年にしてオートハイビームが! クラウンエイトに搭載されたオートハイビームのセンサー。

(評定)

先述のクラウンエイトおよびセンチュリーには、いまのクルマ並みに、対向車のライト光の有無でロー/ハイを切り替える自動ハイビームがあったものの、あくまでも採用車が限られており、×ではありませんが、普遍的だったわけでもないので○にとどめましょう。

予想した25年後の1978年は、まだまだ白熱灯が主流で、上級のクルマ向けにようやくハロゲンライトが出てきたかという頃でした。その意味では×。

tanto headlight
現行タントに搭載される、アダプティブドライビングビーム。下部に並ぶ4つの各LED(片側あたり)の点消灯させる。

ただし「幻惑を消す…」という機能はまさにいまの先進機能を搭載したLEDライトであり、1955年時点でこの機能を予測したのは立派なので◎。

これら10項目の予測はリカードさんのものですが、記事の執筆者は、編集部のページ担当者がどんな伝手で頼んだのか、大谷製作所社長の大谷修さんという方です。

大谷さんは大谷さんで、25年後すなわち1978年の自動車の姿を「“中量級”のものとなるであろう」として、

・空車時の重量 800kg
・最高出力 100~120馬力
・乗車定員 6名
・平坦路での最高時速 180km/h
・標準の燃料消費量 7~9L/100km(筆者追記:約11.1~14.3km/L)

と予測し、「25年後の1978年ニューモデルは、今日の自動車と比べてそれほど革命的な進化を示さないであろう。しかし、その進歩は極めて顕著なものがあろうと信ずる。」で締めくくっています。

これら予想の当たり外れはさておき、これらを見て思うのは、さすがに電気・電子関連の発想はなかったのだなということです。

当時風の表現をするなら「エンジンに代わり、電気モーターが駆動源に」や「あらゆる諸装置が電子頭脳によって制御され、果ては電子頭脳による自動運転があたり前になるであろう」となるのでしょう。

いかがでしたでしょうか? 1955年から見た25年後の自動車予測。

25年どころか、時間的予測は外れながらも、50年も60年もかけて実現した技術もあり、先見性の鋭さも併せ持った予想だったと思います。

さあ、これから世界は二酸化炭素排出ゼロを目指し、オール電気自動車に向かおうとしていますが、果たしていまから25年後の2046年には本当に実現しているのでしょうか?

そして私たちの生活はドラえもんの世界にいくらかでも追いついているのでしょうか? みなさんも25年後の自動車がどうなっているか、未来予測を楽しんでみてください。

(文:山口尚志 写真:モーターファン・アーカイブ、トヨタ自動車、日産自動車、ダイハツ工業)