3代目RX-7=FD3S誕生への歴史をミスターRX-7小早川隆治が語る【歴代ロータリー車ミーティング2017】

1月22日に開催された「歴代ロータリー車ミーティング2017 in マツダR&Dセンター横浜」をつづるこの一連の記事、いよいよ、そのメインコンテンツであるトークショー篇です。トークショーをされたのは、東洋工業(現マツダ)に以前在籍されており、RE車に縁の深い小早川隆治さんとデザイナーの小野隆さん。

今回は小早川氏のトークショーを紹介します。

小早川さんは、FC3S/C型サバンナRX-7、そしてFD3S型アンフィニRX-7の開発主査、さらにル・マン24時間レース優勝の787Bのモータースポーツ担当主査を兼任された方です。ミスターRX-7 と呼んでも異論はない、マツダ・ロータリーエンジン、そしてロータリースポーツとともに歩んできたマツダの歴史の証人といえましょう。

小野さんは北米市場を中心に爆発的な人気で、マツダとロータリーエンジンを世に知らしめ、その地位を盤石なものにした、SA22C型とFC3S/C型のサバンナRX-7のデザイナーです。

実は今回のイベントで小野さんがトークショーをすることもサプライズでした。マツダのロータリースポーツ、RX-7をデザインした張本人の話が聴けるとあって、会場は騒然となりました。


トークショーは小早川氏の登壇からスタートしました。

トークは、マツダが世界で唯一乗用車用として量産化できたヴァンケル型ロータリーエンジン。その登場に至る以前の1588年ラベリーの揚水ポンプ、ジェームスワットのロータリースチームエンジンなどについても紹介からはじまり、マツダがそれを量産エンジンとして実用化し、「いかにロータリーエンジンが耐久性の高さを獲得していったか」についてへと話が進みます。

コスモスポーツ量産のおり、「悪魔の爪痕」と呼ばれた「チャターマーク」をなくすため、 新幹線のパンタグラフなどの技術などから、カーボンパウダーにアルミニウムを含浸させたカーボンアペックスシールを開発した話や、そのテストの場をレースへと移していく過程が語られていきます。

マツダのロータリーエンジンは、その耐久性を証明するために、ニュルブルクリンク84時間レース(初戦で総合4位)、スパ・フランコルシャン24時間レース(1981年総合優勝)、ル・マン24時間レース(1991年総合優勝)、デイトナ24時間レース(13回のクラス優勝)などの耐久レースに打って出ることにより、モータースポーツでの実績を積んでいったこと、そしてそこで得られた量産車へのフィードバックがスポーツカーをはじめとした「グッドハンドリング」なマツダ車を産んだ理由であることなどが語られました。

そうして、「FD3S型RX-7がピュアスポーツとして誕生するに至る経緯」で物語はクライマックス。

1963年東洋工業(現マツダ)入社、山本健一部長の下、できたてのロータリーエンジン開発部へと配属されて、その後、脈々と続くロータリーの歴史にじかに触れ、現場を主導してきた人物である小早川さんがその集大成ともいえるFD3S型の開発秘話を語る姿に、参加者は熱心に聞き入りました。

(古川教夫)

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この記事の著者

古川教夫 近影

古川教夫

1972年4月23日生。千葉県出身。茨城大学理学部地球科学科卒。幼稚園の大きな積み木でジープを作って乗っていた車好き。幌ジムニーで野外調査、九州の噴火の火山灰を房総で探して卒論を書き大学卒業。
ネカフェ店長兼サーバー管理業を経て、WEB担当として編プロ入社。車関連部署に移籍し、RX-7やレガシィ、ハイエース・キャピングカーなどの車種別専門誌を約20年担当。家族の介護をきっかけに起業。福祉車輌取扱士の資格を取得。現在は自動車メディアで編集・執筆のほか、WEBサイトのアンカー業務を生業とする。
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