アウディの新型コンパクトSUV「Q2」試乗会でインゴルシュタット「アウディミュージアム」初訪問

ただ今、ドイツ&スイス出張。
今回のメインはアウディの新型コンパクトSUV「Q2」の国際試乗会ですが、その前にアウディの本社があるインゴルシュタットに行き、本社工場見学と「Audiミュージアム」見学。

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私、インゴルシュタットもミュージアムも初めて。
というか今回の旅は、ミュンヘンも飛行機のトランジットでしか行ったこと無いし(たぶん)、初めてのところだらけですが。

そして「Audiミュージアム」のお話。

アウディミュージアムは本社、工場と隣接されています。
その奥には「納車式」などが行われる場所も。今ではフォルクスワーゲンをはじめ、メルセデス・ベンツやほかのメーカーでも大々的(?)に納車式が行われていますが、一番最初にそれを行ったのがアウディ。だそうです。

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ミュージアムはエレベーターで最上階へ上がり、上の階からアウディの歴史を辿りながら見ていきます。
スタートは、アウディ創業者であるアウグスト・ホルヒの大きな写真と1903年製の「ホルヒ 10-12PS」。カール・ベンツに務めていたホルヒが独立し、「ホルヒ」社を設立。最初に作られたクルマ。12馬力、最高速度は50㎞/h。右ハンドル。この当時から「軽量化」にこだわり、シリコンとアルミの合成素材などを使用。
40台が販売されましたが、価格は当時300年間働いた金額だったそうです。

そして1013年製の「Audi 14-35 PS」。
ホルヒは会社を飛び出してしまうのですが、「ホルヒ」という名前は使えないため、
「ホルヒ」のラテン語読み「アウディ」という社名になったのがアウディの名前の由来。

やがて1929年に世界恐慌が起き、そこで「DKW」「アウディ」「ホルヒ」「ヴァンダラー」が合同で「アウトウニオン」を結成。

しかし、1945年に解体。

その後、ダイムラーを経てフォルクスワーゲンの傘下となり、1965年に「アウディAG」として「100」などを製造。アウディ自慢の四輪駆動システム「クワトロ」を世に送り出しました。

時間が無かったので、今回はポイントを絞ってガイドしていただきましたが、ほかにもレースのクルマ、ホルヒが最後に作ったクルマでアメリカで発見されたというボロボロのクルマ、二輪車なども展示。

そして一番下の階は、最新のアウディが展示されていますが、今は「アウディA5クーペ」の発売に合わせて、「クーペ展」が行われていました。
中でも私のお気に入りは「DKW モンツァ」。
可愛いすぎる~!

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(吉田 由美)

From Motor Fan’s Year

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この記事の著者

小林和久 近影

小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務めた。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
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