国内メーカー初のF1にチャレンジしたホンダ、技術の粋を結集したF1マシン「RA271」の凄さとは【歴史に残るクルマと技術017】

■2輪の世界制覇に続いてF1にチャレンジしたホンダ

1964年ドイツGPで激走するホンダRA271
1964年ドイツGPで激走するホンダRA271

マン島TTレースの優勝など、2輪レースで成功を収めたホンダは、次なる目標として1963年1月にF1参戦を発表。

F1最強を目指して出来上がったマシンが「ホンダRA271」。軽合金モノコックボディや1.5L V12エンジンなど、ホンダの技術の粋を集結し、1964年に西ドイツGPで記念すべきデビューを飾りました。


●2輪トップメーカーとなった次なる目標はF1優勝

1948年に本田宗一郎氏によって創立された「本田技研工業」は、自転車補助エンジンの製造に始まり、直後から本格的な2輪車製造に着手。「ドリームD型号(1949年~)」、「カブF型(1952年~)」、「スーパーカブ(1958年~)」などのヒットで実績を上げて、2輪車トップメーカーの階段を上り始めました。

1961年にマン島TTレースで優勝したトム・フィリス(マシンRC143:2気筒DOHC 125cc)
1961年にマン島TTレースで優勝したトム・フィリス(マシンRC143:2気筒DOHC 125cc)

これで自信をつけた本田宗一郎氏は、かねてからの念願でもあった2輪車の国際レースの参戦を決断。1959年に世界GPの最高峰マン島TTレースに参戦して上位入賞を果たし、1961年にはついに優勝を飾りました。

これが、ホンダのモータースポーツ活動の原点であり、同時に2輪車で“世界のホンダ”へと飛躍した瞬間でもありました。

この2輪車の成功を基盤にして、ホンダは1963年に軽トラック「T360」、スポーツカー「S500」を投入して、4輪車事業へ参入。そして、1964年1月ついにF1参戦を発表したのです。

●目標はF1最強、紆余曲折を経てついにF1参戦

ホンダが本格的にF1プロジェクトに着手したのは1963年、本田宗一郎氏自ら開発の陣頭に立ち、まずエンジンの基本仕様が決定されました。

エンジンは、F1最強を目指し、2輪レースで培った高回転高出力化を踏襲し、排気量1500cc(F1規格)、水冷、横置きV型12気筒、DOHC4バルブエンジンを選択。最初に開発されたプロトタイプ「RA270E」エンジンは、当時のF1最強の220PS/12,000rpmを記録しました。

当初ホンダF1プロジェクトは、エンジンサプライヤーとしての参戦を計画していました。当時のホンダには、車体まで設計してコンストラクターとして戦う余裕はなかったのです。交渉相手は、コーリン・チャップマン率いるロータス・チームで、RA270Eエンジンを供給することがほぼ決定していました。

ところが、デビュー直前にロータス側の一方的な事情で突然ご破算となってしまったのです。

初参戦した1964年ドイツGPのホンダRA271
初参戦した1964年ドイツGPのホンダRA271

それでもホンダは諦めることなく、マシンも設計するフルコンストラクターとして参戦することを決断。改良版「RA271」が完成し、当初の予定より遅れながらも、1964年8月のドイツ・グランプリで記念すべきデビューを飾りました。

ドライバーは、米国人のロニー・バックナム選手、残り3周でクラッシュしてリタイアしましたが、レギュレーションにより13位完走扱いとなりました。この年は、残り2戦も良い成績は残せませんでしたが、開発陣は手ごたえを感じていたようです。

●2輪車の技術が存分に生かされたRA271

ホンダF1のマシンRA271の主要諸元
ホンダF1のマシンRA271の主要諸元

ホンダオリジナルのRA271マシンの特徴は、シャシーに当時としては先進的なアルミモノコックを採用したことと、1.5Lながらエンジンに12気筒を選択したことでした。

シャシーは、アルミ合金モノコックボディとストレスマウント方式で構成。ストレスマウントとは、エンジンをシャシー構造の一部とする方式で、パイプフレームもしくはモノコックの中にエンジンを収めるのが一般的であった時代に、画期的なレイアウトでした。

ホンダRA271搭載のV12エンジン
ホンダRA271搭載のV12エンジン

注目のエンジンは、ユニークな横置きの1.5L V12 NA(無過給)エンジン、ちょうどV型6気筒を直列に連結したような構造で、最高出力は220PS超を発揮しました。排気量が1気筒あたり125ccの小さなボアの4バルブエンジンは、構造上困難というのが常識でしたが、1気筒あたり125ccエンジンの実績があるホンダは、難なく採用できたのです。

●ついにF1メキシコ・グランプリで悲願のF1初優勝

RA271では、世界制覇することはできませんでしたが、その後、高速型カウリングの採用や、キャブレターから燃料噴射式への変更、オイルクーラーの追加などでブラッシュアップした「RA272」マシンを開発して、2シーズン目にチャレンジしました。

1965年にメキシコGPで優勝したホンダF1マシンRA272
1965年にメキシコGPで優勝したホンダF1マシンRA272

2シーズン目の1965年、ドライバーにはベテランの米国人リッチ・ギンサー選手が加わり、バックナム選手との2名体制でレースに挑戦。

歓喜の時は、予想外に早く、その年の最終戦メキシコ・グランプリでやって来ました。

レースは、ギンサー選手がスタートからトップに躍り出て、その座を一度も譲ることなく、完全優勝を飾ったのです。この朗報は、“来た、見た、勝った!(古代ローマのカエサルがゼラの戦いで勝利したときの名言)“という電報で、ホンダ本社に伝えられたそうです。

●ホンダRA271が誕生した1964年は、どんな年

1964年にデビューした 3代目トヨペットコロナ。アローラインと呼ばれたシャープなスタイリングが特徴
1964年にデビューした 3代目トヨペットコロナ。アローラインと呼ばれたシャープなスタイリングが特徴

1964年には、トヨタの3代目「トヨペットコロナ」、東洋工業(現、マツダ)の「ファミリア800セダン」、三菱重工(現、三菱自動車)の「デボネア」、プリンス自動車の「スカイラインGT」も登場しました。

1964年にホロゲーションのために100台販売されたスカイラインGT
1964年にホロゲーションのために100台販売されたスカイラインGT

3代目コロナは、アローラインと称されたスタイリッシュなデザインに、優れた性能と耐久信頼性を兼ね備え、人気の日産自動車「ブルーバード」から小型乗用車販売トップの座を奪取したヒットモデル。

ファミリアは、マツダ初の大衆乗用車で、僅か4年の間に40万台を生産したマツダの自動車メーカーとしての地位を不動にしたヒットモデル。

デボネアは、三菱が「セドリック」、「クラウン」に対抗するために投入した、当時の国産乗用車としては全長、ホイールベースとも最長の最高級乗用車。

スカイラインGTは“羊の皮を被った狼”と評された、スカG伝説を作った名車です。

その他、この年には日本の高度経済成長を象徴する東京オリンピックが開催され、それに合わせて東海道新幹線が開業、カルビー「かっぱえびせん」、ロッテ「ガーナチョコレート」、大関酒造「ワンカップ大関」が発売されました。また、ガソリン48円/L、ビール大瓶120円、コーヒー一杯70円、ラーメン60円、カレー120円、アンパン12円の時代でした。


ホンダ初、日本メーカー初のF1マシンであり、日本の技術力を世界に知らしめ、その後の日本のモータースポーツ進展に大きな影響を与えたホンダRA271、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いありません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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