初代スカライン「プリンス・スカイライン」が目指したものは? 「トヨペット・クラウン」との違いは?【歴史に残る車と技術005】

■初代スカイラインは、飛行機づくりのDNAを受け継いだ高性能セダン

1957年に誕生した初代プリンス・スカイライン。重厚なアメリカンスタイルの高性能セダン
1957年に誕生した初代プリンス・スカイライン。重厚なアメリカンスタイルの高性能セダン

1957年(昭和32年)4月24日、富士精密工業(後に日産と合併するプリンス自動車の前身)から、初代スカイライン「プリンス・スカイライン」が発売されました。プリンス・スカイラインは、中島飛行機の流れを汲んだ技術者によって開発された、先進技術満載の高性能セダンです。


●初代スカイラインを誕生させた富士精密工業/プリンス自動車

初代スカイラインを開発した富士精密工業は、終戦後に軍需産業とみなされた航空機メーカー「中島飛行機」と「立川飛行機」が解体された後、以下のような紆余曲折を経て誕生しました。

当初は「東京電気自動車」、その後「たま自動車」を名乗り、1952年に「プリンス自動車」と改名。1954年に「富士精密工業」となり、その間にプリンス・スカイラインとプリンス・グロリアを開発しますが、1961年に再びプリンス自動車を名乗り、1966年にプリンス自動車は日産自動車に吸収合併されました。

プリンスという社名の由来は、当時の皇太子(現在の上皇陛下)の立太子礼を記念して、新型車に付けられた車名に由来します。

以上の経緯から、初代と2代目はプリンス・スカイライン、3代目以降は日産・スカイラインと名乗りました。

●開発を指揮したのは、ゼロ戦のエンジン設計者

初代スカイラインは、“世界で通用する性能と品質を持ち、高速で安全かつ軽快に走行できる車”を目指し、開発のトップは戦闘機“ゼロ戦”のエンジン設計者だった中島飛行機出身の中川良一氏でした。

ゼロ戦 写真AC_Toshi 1957
ゼロ戦(写真AC_Toshi 1957)

ゼロ戦を設計したのは、アニメ映画「風立ちぬ」のモデルとなった三菱重工の堀越二郎氏ですが、搭載された“栄エンジン”や“誉エンジン”を作ったのが、中島飛行機で戦闘機用エンジンの設計を担当していた中川氏でした。第二次世界大戦後、中川氏は富士精密時代を経て1954年にプリンス自動車設計部長となり、1957年にデビューした初代スカイラインの開発指揮を執ったのです。

ちなみに、同じく中島飛行機で、中川氏と共にエンジンの設計に携わっていた海軍技術大尉が、戦後、富士重工業(現、SUBARU)で名車スバル360を世に送り出し、初期の富士重工業の技術をけん引した百瀬晋六氏でした。

戦時中に戦闘機の開発に携わっていた多くの技術者が、大戦後にその優れた技術力で多くの自動車メーカーで活躍、自動車の技術発展に大きく貢献したのです。

●初代スカイラインが目指したのは、先進技術満載の高性能セダン

初代スカイラインの後ろ外観。オールデイズのアメ車風スタイリング
初代スカイラインの後ろ外観。オールデイズのアメ車風スタイリング

初代スカイラインは、当時の先進技術すべてを盛り込んだ画期的な車でした。

テールフィンを持つボリューム感のあるアメ車風スタイルの4ドアセダンで、当時としては画期的なツートーンを標準ボディ色としていました。エンジンは、1.5L直4 OHVでクラストップの最高出力60PS/最大トルク10.75kgmを発揮。コラムシフト4速MTのFRで、最高速度は国産乗用車最速の125km/hを誇りました。

プリンススカイラインの主要スペック
プリンススカイラインの主要スペック

一方で、高級車らしい乗り心地を実現するため、バックボーントレイのフレームで剛性を確保し、足回りはフロントにダブルウィッシュボーン/コイル、リアにド・ディオンアクスル/リーフという先進的なセッティングが採用されました。

車両価格は、デラックスで120万円、クラウンデラックスの122万円とほぼ同額。1957年の大卒初任給は1.2万円程度なので、単純計算で現在の価値では初代スカイラインは約2300万円となります。また当時は、ガソリン代は39円/L、ビール(大瓶)125円、アンパン12円、ラーメン50円、カレー100円の時代でした。

●スカイラインは高性能(スポーツ)セダン、クラウンは高級セダンの道へ

プリンス・スカイライン(1957年~)とトヨペットクラウン(1955年~)は、いずれもアメ車風の曲面基調のスタイリングを採用し、ほぼ同じ時期に同等の販売価格で日産とトヨタを代表する高級車としてデビューしましたが、スカイラインはスポーツセダンとして、クラウンは高級セダンとして、別々の道を歩み始めました。

1955年に誕生した初代クラウン(トヨペットクラウン)。日本初の純国産車
1955年に誕生した初代クラウン(トヨペットクラウン)。日本初の純国産車

スカイラインは、デビュー2年後の1959年に最高出力を70PSへ向上、さらに1962年には排気量を1.9Lに拡大して91PSを発揮する「スカイラインスーパー」、「スカイラインスポーツ」を追加。2代目以降は、モータースポーツで大活躍し“羊の皮を被った狼”の称号を獲得、“ハコスカ(3代目)”と“ケンメリ(4代目)”の大ヒットによって、若者の憧れのスポーツセダンへと進化したのです。

一方のクラウンは、2代目で最高出力115PSを発揮する国内乗用車初のV型8気筒2.6Lエンジンを搭載した最高級セダン「クラウンエイト」を投入。大型化と高級化を追求して、“いつかはクラウン”というキャッチコピーがしっくりと日本人に浸透するような、日本を代表する高級セダンへと舵を切り、現在に至っています。


数々の伝説と名車を生んだスカイラインの原点である初代プリンス・スカイライン、日本の歴史に残る車であることに、間違いありません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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