「フェラーリ」創業。レーサー「エンツォ・フェラーリ」がレーシングカーを開発、高級スポーツカーメーカーへ【今日は何の日?3月12日】

■ポルシェとともに憧れのスポーツカーを提供し続けるフェラーリ

フェラーリのレーシングカー第1号「125S」
フェラーリのレーシングカー第1号「125S」

1947(昭和22)年3月12日、レーサーだったエンツォ・フェラーリが「フェラーリ」を設立し、記念すべきフェラーリの第1号車となるレーシングカー「125S」の開発に着手。

この日がフェラーリ創業の日とされ、レーシングカーや高級スポーツカーなどを手掛けて現在の確固たる地位を築き上げたのです。

●自動車工場から始まったフェラーリ

アルファロメオでレースに参加していたレーサーのエンツォ・フェラーリが、1929年に仲間と「スクーデリアフェラーリ」を創立したのが、フェラーリの原点です。しばらくして、アルファロメオのセミワークス扱いになりましたが、1939年にアルファコルセと合併します。

その後、独立したエンツォ・フェラーリは、1943年に自ら自動車工場を作りてレーシングカーの製作を開始。1947年にフェラーリを創立して、すぐにレーシングカー125Sの製造に着手しました。

●レーシングカーと市販車の成功によって名声を上げる

フェラーリ創立の翌年1948年には、「166インテル」の受注生産を開始。このクルマが、フェラーリの市販スポーツカー第1号で、レーシングカーの「166S」を公道でも走行できるように改造したクルマです。

レーシングカーと市販車の成功によって徐々に名声を高めていきましたが、一方でレース活動費や労使紛争によって経営が逼迫します。その結果、1966年にフェラーリはフィアットの傘下となりますが、フィアットの品質管理技術や量産技術を取り入れることで品質や商品力が大幅に改善され、高級スポーツカーやGTカーのメーカーとして確固たる地位を築き上げます。

その後も、F1での成功と先進技術の導入によって、景気の低迷時期にも世界中のスポーツカーファンを熱狂させ、好調な販売を記録しました。

●高級スポーツカーメーカーとして放った数々の名車

V8ツインターボをミッドマウントさせた「288GTO」
V8ツインターボをミッドマウントさせた「288GTO」

125Sでレーシングカーの製造を始めたフェラーリですが「166インテル」や「250GTO」でレーシングカーをベースにした市販車の開発を始めました。純粋にロードカーとして設計されたのは、「275GBT」からです。

・1968年、275の後継として誕生したデイトナと呼ばれる「365GBT/4」を発売、12気筒エンジンの高性能に加えて美しいスタイルで高い評価を獲得

エンツォの名を冠した「エンツォ・フェラーリ」
エンツォの名を冠した「エンツォ・フェラーリ」

・1984年、V8ツインターボをミッドマウントさせた「288GTO」発売

・1987年、フェラーリ40周年を記念して登場、エンツォが最後に関わった限定モデル「F40」(車両価格:4000万円~)

・1999年、大ヒットしたアルミ製ボディの「360モデナ」(車両価格:1758万円~)

フェラーリ初のPHEV「SF90スタラダーレ」
フェラーリ初のPHEV「SF90スタラダーレ」
フェラーリ初のハイブリッド「ラ・フェラーリ」
フェラーリ初のハイブリッド「ラ・フェラーリ」

・2002年、エンツォの名を冠した「エンツォ・フェラーリ」、設計者はピニンファリーナに在籍していた奥山清行氏(車両価格:7850万円~)

・2013年、フェラーリ初のハイブリッド「ラ・フェラーリ」(車両価格:1億6000万円)

・2019年、フェラーリ初のPHEV「SF90スタラダーレ」(車両価格:5340万円~)


フェラーリは、ある程度の運転技術を必要とする、扱いにくいマニアックな高級スポーツカーです。また伝統的にレーシングカーのようにきめ細やかな少量生産で作り上げるという名残があるので、どうしても高額になります。でも乗りたいクルマですね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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