マツダのコンパクトカー2代目デミオがデビュー。新生ブランド「Zoom-Zoom」スピリットを具現化【今日は何の日?8月7日】

■マツダ再生の救世主となった初代に続いた2代目デミオ

2002(平成14)年8月7日、マツダは1990年代経営不振に陥っていたマツダの救世主となった初代「デミオ」の初めてのモデルチェンジを発表。2代目は、キープコンセプトながらボディを拡大して1クラス上の上質な室内空間と走行性能を高めて、人気のデミオのさらなるブラッシュアップを図りました。

2002年に登場した2代目デミオ「Sport」
2002年に登場した2代目デミオ「Sport」

●マツダの窮地を救った初代デミオ

マツダは、1990年代前半に起こったバブル崩壊と国内販売の5チャンネル体制の失敗によって経営危機に陥り、1996年にフォード傘下に入りました。急ピッチで抜本改革による再生に取り組み、その象徴として投入されたのがデミオでした。

1996年にデビューし、大ヒットした初代デミオ
1996年にデビューし、大ヒットした初代デミオ

フォード傘下となった翌月にデビューした初代デミオは、当時人気を博していたミニバンとステーションワゴンを融合した新しいスタイルのコンパクトカーでした。コンパクトながら、多彩なシートアレンジや広いラゲッジスペースを実現して、実用性と居住性を両立。シンプルでボクシーなスタイリングも人気を呼び、ファミリー層だけでなく、社用や商用としても支持され、大ヒットを記録しました。

発売1ヵ月での受注は21,200台を超え、発売後1年で生産台数10万台を達成し、まさしく苦境に喘いでいたマツダの救世主となりました。

●初代よりも室内空間を拡大してパワーアップ

2代目デミオの多彩なシートアレンジ
2代目デミオの多彩なシートアレンジ

2002年にモデルチェンジした2代目デミオの基本は、初代のキープコンセプトでしたが、フォードとプラットフォームを共用して、パワートレインやサスペンション、ブレーキなどすべてが新設計されました。ボディサイズは、初代より拡大され、外観もボクシーながらエッジを丸めたソフトなフォルに変更。

最大の特徴は、初代よりもシート間隔を拡大したゆとりある室内空間と質感の向上でした。パワートレインは、パワーアップした新開発の1.3Lおよび1.5L直4 DOHCエンジンと4速ATおよび5速MTの組み合わせ、駆動方式は当初FFのみでしたが、途中から4WDが設定されました。

2代目デミオも発売1ヵ月で15,000台と好調に滑り出し、初代ほどではありませんが堅調に販売を増やして、初代から10年余りで100万台を突破しました。

●新ブランド「Zoon-Zoom」の象徴となった2代目デミオ

2代目デミオとともに、Zoom-Zoomを具現化したモデル、2002年デビューのアテンザ
2代目デミオとともに、Zoom-Zoomを具現化したモデル、2002年デビューのアテンザ

マツダは、2001年の東京モーターショーで新しいブランドメッセージ「Zoom-Zoom」を発表しました。これは、走る喜びを追求したマツダらしいクルマづくりを目指すという企業メッセージです。

新ブランド「Zoom-Zoom」の象徴が、2002年にデビューした「アテンザ」と2代目「デミオ」だったのです。 その後デミオは、2007年に環境・安全性能を高めた流線型のフォルムに変貌した3代目へと進化し、2011年にはSKYACTIV技術の第1弾となる「SKYACTIV-G」エンジンを搭載して注目を浴びます。そして2014年の4代目を経て、2019年に車名が2代目以降、海外で用いられていた「Mazda2」に変更されました。


現在コンパクトカー市場には、トヨタ「ヤリス」、日産自動車「ノート」、ホンダ「フィット」と強敵ぞろい。Mazda2は後塵を拝していますが、月販2000台は確保しているので、販売力の違いを考慮すれば健闘していると言えるかもしれませんね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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