■WRC6戦4勝、独走となるかトヨタGRヤリス
昨年の2021年、サファリ・ラリーが19年ぶりに世界ラリー選手権(WRC)のシリーズ戦として復活しました。そこでは見事に初出場チャレンジャーの勝田貴元がトップ攻防戦の2位を獲得するトヨタの1-2フィニッシュでした。そして2022年6月の23日~26日のWRC第6戦ではなんと、トヨタ勢がGRヤリスでサファリ・ラリー1-2-3-4フィニッシュを成し遂げます。3位の勝田が2年連続表彰台、という快挙でした。この戦績は過去のサファリ・ラリーでの日本人ドライバーの偉業の再来でもありました。どんなものだったのか、振り返ってみます。
●歴史は繰り返すサファリ・ラリー上位独占
サファリ・ラリーは日本のモータースポーツファンの中でも格別なものであった時代がありました。日本が高度産業を成し遂げてゆく昭和の時代での、タフなクルマを愛するファンたちを作り出してゆく源でもあったのです。
自動車メーカーとして日産がいち早く1963年からサファリ・ラリーに挑戦しています。アフリカの大地、ケニア、ウガンダ、タンザニアをめぐる一大イベント、キリマンジャロを見渡すサバンナや、高原地帯ケニア山周囲、熱帯的ナイバシャ湖周辺などにある、荒れた長い直線的コース、細かい砂埃が舞い漂う前方視界不良コンディション、かと思えば一瞬にして大地に振るスコールによりルートは泥沼化、時に原始時代の刃物となって使われていた割れて鋭利となっている黒曜石もあったりする岩場のルート、などなど過酷な戦場でした。
日産はいち早くブルーバードでクルマの信頼性を築き上げ、バイオレット、240Z、240RS、シルビアと連綿と続き、追従する三菱、スバル、トヨタ、ダイハツ、スズキなど、日本の自動車メーカー各社ともども、ギャラン、ランサー、レオーネ、レガシィ、インプレッサ、セリカTC、スープラ、セリカGT-FOUR、シャレード、スイフトなどなどと、市販車最強バージョンが目白押しに参戦してきた時代変遷があります。
その中でWRCサファリ最上級の戦績であったのが、1994年のサファリ・ラリーで篠塚建次郎が、初代ランサー・エボリューションで成し遂げた2位でした。また選手権カレンダーで年毎に変動があった頃、WRCのタイトル戦ではありませんでしたが、1995年には藤本吉郎がセリカGT-FOURでサファリ優勝を遂げています。
昨年2021年、WRC選手権に復活したサファリで、若手ドライバーの勝田貴元は2位となり、トヨタはセバスチャン・オジェとの1-2フィニッシュ。日本人ドライバーとしてのWRC初優勝を1991年のアイボリーコーストでギャランVR-4で遂げ、1994年のサファリ ではランサー・エボリューションでサファリ2位になった篠塚建次郎に並ぶ快挙を成し遂げたということです。実に27年ぶりということになります。ちなみにWRC優勝日本人はいまだに篠塚のみ。
1994年のAUTOSPORT誌面を見ると「どんなマシンでも全開で走ったらサファリでは壊れてしまう。ペースを見極めて最速で走るのがサファリなのだ」と篠塚建次郎の言葉がありました。古くからサファリは、高速バトルのイベント、変化するコンディションに適応しなければ、いかに性能あるクルマでもダメだったのです。
さらに今年2022年のサファリ・ラリーでは、トヨタ・GRヤリスが1-2-3-4独占。これもまた振り返るに、1993年のST185セリカGT-FOURでのトヨタ1-2-3-4独占の再来となりました。サファリで多勢を圧倒するということは、紛れもない実力の証。トヨタは初のマニュファクチャラーズ・チャンピオンを1993年に獲得してゆきました。世界戦でナンバーワンの自動車メーカーだという記録、オリンピックで言うならば金メダルを獲得してゆくことになります。この1993年のサファリ1-2-3-4フィニッシュのドライバーは、ユハ・カンクネン、マーク・アレン、イワン・ダンカン、そして上位独占の一役をになって4位には岩瀬晏弘が入っています。サファリ・ラリーは、日本人にとってやはりなじみの深いベントでしょう。
かつてサファリ・ラリーへの熱意で日本を賑わしていた世界選手権ラリーは、その後グループA車両という市販車ベースの時代に移り、さらにスバル、三菱も世界一に名乗りを上げ盛りあがりました。今年11月、10数年ぶりに世界選手権ラリーが日本にやってきます。トヨタのお膝元、愛知でどう炸裂するのか楽しみです。(文中敬称略)
(文:游悠齋/写真:日産自動車、トヨタGAZOO Racing WRT、AUTOSPORT)
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