エッフェル塔が完成/レーシングカー設計者の三村建治生まれる/スバル・レオーネが国内で初めて53年排ガス規制に適合!【今日は何の日?3月31日】

■エッフェル塔は第4回パリ万博を記念した建築物だった

1889年3月31日、パリのシャン・ド・マルス広場に建設中だったエッフェル塔の竣工式が行われました。エッフェル塔は、同年に開催された第4回パリ万国博覧会にあわせて、鉄骨構造技術の第一人者ギュスターヴ・エッフェルの設計で建てられた、当時世界一高い(312m)建造物でした。今はパリの象徴ですが、当初は鉄骨構造から受ける無機質なイメージから、存在を煙たがる市民もいたようです。

3月31日には、俳優の筒井道隆と舘ひろし、柔道の小川直也、映画監督の大島渚、旺文社創業者の赤尾好夫、自動車デザイナーの三村建治、哲学者のルネ・デカルト、音楽家のヨーゼフ・ハイドンなどが生まれています。本日紹介するのは、数々のレーシングカーの設計を行った三村建治です。

●設計者としてコンストラクターとしてF1に参戦した三村建治が誕生

三村建治は1947(昭和22)年3月31日、東京品川区でプラスチック成型工場を営む家庭に生まれました。高校時代に友達とレーシングチームを結成してジムカーナなどに参戦、立教大学進学後にはホンダS600でレースやジムカーナに参戦しながら、レーシングマシンの製作も行うようになります。1971年に「マナ」を設立、コンストラクターとしての活動を始めます。

1973年にマキF1チームを設立して、純プライベートのF1コンストラクターとしての活動を開始、そして翌年1974年、ついに待望のイギリスGPと西ドイツGPに参戦を果たします。その後も欧州でレースに出場しましたが、いずれも予選落ちで決勝には進めず、マキF1チームは実質的に解散します。

三村は1978年に童夢に参画し、設計に関わった童夢RL80がル・マン24時間で日本車として初の完走を果たすなど、躍進に貢献しました。現在は1985年に設立したエムアイエムデザインの代表として、レーシングカーだけでなく、様々なエンジニアリング事業を行っています。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?

●スバル・レオーネに国内初の53年排ガス規制適合モデル投入

1977(昭和52)年3月31日、スバル(当時は富士重工)は「レオーネ」をマイナーチェンジし、国内初となる昭和53年規制適合モデルを追加設定しました。53年排ガス規制は、米国のマスキー法をベースにした、当時世界で最も厳しい排ガス規制でした。

1977年にデビューした53排ガス規制適合レオーネ
1977年にデビューした53排ガス規制適合レオーネ
SEEC-Tの原理
SEEC-Tの原理

レオーネは、スバル1000の後継として1971年にデビュー。野性味あふれるスタイルで、従来のやや地味なスバルのイメージを一新しました。一方、段階的に厳しさを増していく排ガス規制に対しては、スバル独自の排ガス低減技術SEEC-Tで対応。これはエアサクションバルブによってシリンダー内と排気ポートに2次空気を導入して、未燃ガスを再燃焼させてCOとHCを低減するシステムです。

1971年にデビューした初代スバルレオーネ
1971年にデビューした初代スバル・レオーネ

マイナーチェンジしたレオーネは、1.4Lと1.6Lの水平対向4気筒エンジンを搭載し、同時に精悍なフロントマスを採用するなど内外装もリフレッシュされました。そして、最も厳しい53年規制に対しては、SEEC-TにEGRを組みあわせることで成功しました。

排ガス性能で先行したレオーネでしたが、他社も続々と53年規制適合車を投入し始め、レオーネの販売は伸び悩みました。ユーザーは、排ガスがきれいかどうかでクルマを選ばないですからね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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