電話料金が3分10円に/ドリキン土屋圭市生まれる/マツダの前身が創業!【今日は何の日?1月30日】

■公衆電話が10円無制限から10円3分間に制限

1970(昭和45)年1月30日に、それまで10円で無制限に掛けられていた公衆電話が10円で3分間に制限されました。当時はまだ電話が一家に1台でなく、共有で使われていた時代。長電話が多くて、急用の電話が掛けられないとクレームが多かったために、時間制限が設けられたそうです。

さて、1月30日に生まれたのは、歌手の石川さゆり、漫画家の長谷川町子、レーシングドライバーの土屋圭市、政治家の勝海舟、米俳優のジーン・ハックマン、米国大統領のフランクリン・ルーズベルトなどです。本日紹介するのは、土屋圭市です。

●“ドリキン(ドリフトキング)”こと土屋圭市が誕生

2008年のスーパーGTでの土屋圭市スーパーエグゼクティブ(C)Creative Commons
2008年のスーパーGTでの土屋圭市スーパーエグゼクティブ(C)Creative Commons
1995年のル・マン参戦マシン(C)Creative Commons
1995年のル・マン参戦マシン(C)Creative Commons

土屋圭市は、1956(昭和31)年1月30日、長野県の東卸市に生まれました。高校卒業直前に、高橋国光選手に憧れてスカイライン2000GTを購入、長野の碓氷峠で腕を磨いて、1977年に富士フレッシュマンレースでデビュー。1984年、ヨコハマタイヤの専属ドライバーとしてフレッシュマンレースで6連勝を飾り、一躍その名が知れ渡ります。ドリフトを多用してコーナリングするスタイルから“ドリキン(ドリフトキング)”と呼ばれました。

その後も、数々のタイトルを獲得し、1995年のル・マン24時間レースで師と仰ぐ高橋国光とともにGT-2クラス優勝を飾ります。その後、NASCARや全日本GT選手権でも活躍し、2003年にレーシングドライバーを引退しました。引退後はARTAのチーム運営に携わり、エグゼクティブアドバイザーを務めています。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●102年前、マツダの前身である東洋コルク工業が創業!

1920(大正9)年1月30日に、マツダの前身「東洋トルク工業」が設立されました。東洋トルク工業は、その名の通りコルク栓などを製造する会社ですが、重役のひとりに松田重次郎の名前がありました。翌年には、松田重次郎が社長となり、1927年に東洋工業に社名を変更して自動車の製造事業に参入することを決断します。

マツダの実質的創業者:松田重次郎氏(C)Creative Commons
マツダの実質的創業者:松田重次郎氏(C)Creative Commons
1950年にマツダ初の乗用車マツダR360クーペ
1950年にマツダ初の乗用車マツダR360クーペ

東洋工業の自動車づくりは、バイクに始まり、3輪トラック、4輪トラックへと進みます。戦後1950年頃からは、モータリゼーションや政府の国民車構想の後押しで各メーカーが積極的に乗用車を投入、東洋工業も1960年「R360クーペ」で乗用車市場に参入します。その後、世界初のロータリーエンジン搭載車の量産化に成功、ラインナップを充実させて総合自動車メーカーへと成長し、1984年に社名をマツダに変更しました。

1967年にデビューしたコスモスポーツ。ロータリーエンジンのデビューを飾ったモデル
1967年にデビューしたコスモスポーツ。ロータリーエンジンのデビューを飾ったモデル

ちなみに、マツダの名前の由来は、もちろん社長の松田姓をカタカナにしたものですが、同時にゾロアスター教の光明神「アウラー・マヅダー(Ahura Mazda)」にも由来しています。自動車業界に光明をもたらすという願いが込められており、だから「Matsuda」ではなく「Mazda」なのです。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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