■軽初の新たなボディ創出は13年前
今日12月17日はライト兄弟が世界初の有人飛行に成功した日で、「飛行機の日」とされています。伝記ものによく登場するライト兄弟が有人飛行に成功したのは知っていましたが、それが行われたのは今から117年前の1903年12月17日だったのです。ただでさえ気温の低い上空に挑んだのが、なおも寒い冬の時期だったとは知りませんでした。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
背高ノッポの軽自動車・ダイハツタントが初のモデルチェンジによる2代目モデルが発表・発売された日が12年前の今日、2007年12月17日でした。
タントといえば、リヤサイドドアをスライド式にし、ピラーをドアに内蔵して大きな開口部のミラクルオープンドアがウリとなっていますが、実は初代では前後ともサイドにはヒンジ式ドアが採用され、この2代目となってフロントヒンジ式ドア+リヤスライドドアによる大きな開口部を持つミラクルオープンドアが初採用されたのです。
ただし、2代目時点では、センターピラーレスのリヤサイドドアのスライド化は助手席側のみにとどまっていました。つまり、左右非対称だったわけです。
初代タントが2003年11月に誕生したとき、当時のダイハツ・山田社長はある対談で、「…ミラ、ムーヴ、そしてこのタントを、今後のダイハツの3本柱にしたい」と語っていました。当時のダイハツ車の中ではムーヴが大全盛だったものですから、筆者などはこのとき「ほんとに柱になるのかな」と懐疑的だったのですが、4年も経つ間、ムーヴの姿がかすむほどにまで立派な柱に大成長しました。
今ではスズキをはじめ、ホンダや三菱からも似た思想のクルマが出ていますが、スーパーハイト軽の市場を作ったのが初代タントなら、使い勝手を向上させてブラッシュアップを図ったばかりか、さらにライバル誕生を誘引して大きな市場に仕立て上げたのが2代目タントなのかも知れません。
毎日がなにかの記念日。それではまた次回!
(文:山口 尚志/写真:ダイハツ工業)