真面目に取り組んでいれば「かならず運は開ける」と伊藤さんは言います。「先進性・パイオニアを強調し、他社のやらないことにチャレンジし、他車を凌駕する高性能」という高い目標に挑戦してきたそうです。
ローレル、レパードの開発を経て1985年からR31スカイライン開発担当に任命されました。途中から引き継ぐ格好のため、もうその時期はR31スカイラインの運輸省(当時)への届出が迫るスケジュール。
当時のローレルもそうですが、あまりに角ばったデザインに疑問を抱きつつも発表を迎えたのですが、その悪い予感は的中。85年8月に発表されたR31スカイラインは「スカイラインらしくない」「2ドアがない」「RB20エンジンが期待以下」「昔のほうがよかった」など、芳しくない評判が集まりました。
そこで伊藤さんは、世界初の可変吸気システムを採用し、マイナーチェンジでシュンシュンとよく回るエンジンに改良したのです。しかしユーザーを思って行ったこの改良に上層部から「たった2年で変えるとは何事だ!」と叱られ、このときばかりは伊藤さんもクビを覚悟したそうです。
これによって学んだことは「競合車のことばかり考えるよりも、そのクルマ自身の持つ強みを伸ばすことが大切」ということでした。ということで「R32スカイラインは、誰からも文句の出ないようなスカイラインにしたい」と誓ったのです。