HKSスーパーソアラ「C240」の高速極限耐久をテストしたドライバー3名のインプレッションとは? その2【OPTION 1984年12月号より】


チューニングの勝利を実証した! by稲田大二郎(Dai)

ハッキリいって、この耐久テストは画期的なものだと思う。チューニング、チューニングとここ数年来ブームは盛り上がっていたが、パワー競争が主体だったからだ。耐久性が無くては最高速もゼロヨン性能も花火でしかない。

250km/hでの限界テストは、ボクにとっても不安だらけだった。本当にチューニングされた5M-Gがもつのだろうか。最も心配したのは、タイヤや駆動系の耐久性である。しかし、HKSはボクらのうるさい注文を聞き入れてソアラを作ってくれた。

それでも最初のトライが不安だったのはいうまでもない。まだ未明の谷田部テストコースは250km/h近いスピードではバンクの入り口が確認しづらい。

1周目は細心の注意でバンクに飛び込んだ。津々見さんのアイデアで入り口近くに懐中電灯を置いたのが役立つ。ほぼ6000rpmで周回するが、裏側のストレートでややアクセルを絞る。といっても500rpmも落とさないが。気持ち、タービンを冷やすためだ。

2周目のバンクで白い小さな物体がボンネットを横切った。小鳥だ。しかしハンドルは切れない。左フロントガラス上部にガンと当たる。もう少し大きな鳥だったらヤバい。

周回を重ねるが、スピードは250km/hをマークできない。序盤は安全策のため、ブースト圧をダウンし、ガスも濃くしてあるからだ。

しかし、わずか15周といっても気が気でない。タイヤ温度は上がり続けているだろうし、デフの油温も140度近い。これはデフ冷却用のポンプをスイッチオンすることで安定しているから心配ない。といっても頻繁なチェックは欠かせない。

いろんな音や振動に五感を集中しながら、16周を終えピットインした。不安が徐々に薄らいでいく。各種計器類も異常ナシだった。「これならいくらでもいける」と思った。

しかし、約1時間後、再びボクのドライブになりペースアップしようという矢先、ノーマルミッションがガラガラッと異音を発し、終了のゴングを告げた。それでも1時間以上、250km/hペースで走れたことはチューニングの勝利と思う。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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