当時の国内最速記録を更新したなにわの男、「トライアル・牧原道夫」のチューニング人生とは【OPTION 1985年4月号より】

OPT:牧原さんは最終的にどんな夢を持っているんでしょうか。

牧原:夢ゆうか・・・ウーン、何というか最終的に真白くなりたい。燃え尽きて燃え尽きてあしたのジョーみたいに真白くなれたらいいな思います。クルマゆうワクの中で幸せになれたらいい。でも今は目の前のことをひとつひとつ片づけることで精一杯や。今ブームになってるチューンドカーゆうのは、ボクらの年代からスタートしたんやないか思う。戦後10年くらい経って生まれて、ほっとかれた世代やから自由奔放にやってきた。でもボクらの世代はみんな頑張ってるし、オレも負けんようにせなあかんなと思うてる。北の海が引退した時も同じ世代やから悔しかった。歌い手さんでもどうしても同世代の人を応援しとうなるし、オレらの年代は連帯感が強い思う。

OPT:では最後に、これからの動きみたいなものを教えてください。

牧原:今、トライアル・レーシングという名でJAFの加盟クラブがあるんやけど、結構速いドライバーもいるし、7~8年もせんうちにF2に参戦したい思うとる。それと。チューナーゆうたらカッコええけど、これからはただの技術者ではアカンわ。ただターボ付けて速いクルマ作れるだけやったらいっぱい出てきよる思うし、そんな中で生きていこう思うたら、少しは営業的なセンスも必要になってくると思う。さっきもいうたけど、大阪人にとってはちょっと難しいことかもわからんけど、これからはもう職人気質の時代やない。

何の世界にしろ、トップに立った人というのは何か、言葉では表せないエネルギッシュなものを全身から発散させている。先に席を立った彼の後ろ姿に、それを再確認する思いだった。

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大阪人の心意気、気合、意地??? 牧原さんの言葉、「スピードには言葉で表現できん何かがある・・・」響きます! そして何より、トライアル・牧原さんが最高速をはじめ、長くチューニングカーに関われているのは、テストドライバーのことをも気遣ったクルマ作りができているから・・・なんだなぁと、あらためてこの記事を読み、感じました。東京オートサロン2018でお会いした牧原さんは、歳なりにオッチャンになられましたが、相変わらず熱い心意気も持っていらっしゃいましたヨ!(↓画像は東京オートサロン2018でお会いした現トライアルスタッフさんたちと)

[OPTION 1985年4月号より]

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

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この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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