当時の国内最速記録を更新したなにわの男、「トライアル・牧原道夫」のチューニング人生とは【OPTION 1985年4月号より】

OPT:さて、いよいよ307.95km/hの話なんですが、技術的な面からお話してもらえますか?

牧原:ツインターボ+キャブゆうんはあれがデビュー作やったんや。理論上ではシングルでタービンを大きくするよりも、ツインにしたほうがより多くの混合気を送れるのは分かっとった。でも手元にあるのはシングルターボのセッティングデータだけやろ、ゆうてみればテストケースになるわけや。でもデビュー作やから全力を注いで作った。どこが違うかいわれたら、予想できるトラブルは全て読んですぐに対処できるように、いやその前にトラブらんようにひとつひとつのパーツをシビアに見ていったな。

OPT:トラブルに関してはまぁ、どこのショップさんもそうみたいですね。

牧原:ウチトコはそれ以上にシビアに見たんや。なんでか分かる? 谷田部でなにかあったらウチはそれで終いや。ちょっと持って帰ってすぐ直すゆうわけにはいかんやろ。大阪と東京ゆう距離がそうさせたんや。そやからコースに入って1周目、第1バンクにクルマが消えたら第2バンクから出てくるまではハラハラしっ放しや。まるでデキの悪い子を見とんのと一緒や。

燃え尽きて、燃え尽きて、真白くなりたい

OPT:なるほど。では一番聞きたいこと、なぜ最高速を狙ったのか聞かせてください。

牧原:う~ん。まず、今やから、やってみよう思うた。これを2年後に出しても意味のないもんや思う。時代が変わっとるやろうからね。逆にあと何年かすれば、あぁ85年は307km/h出た年やったなぁゆうことになる思うわ。その時には皆レベルアップしとるやろうしな。技術の差ゆうんは見えんもんや。それと、目標があった。チューンドカーのトップでありたい。これは逆にウチとこのクルマがいつ抜かれるか分からんゆうことや。

OPT:同じZということでRSヤマモトさんのクルマはやっぱり意識されたんですか?

牧原:ヤマモトさんところはストリート仕様を強調してはるやろ。ウチとこと同じやしな。ウチもあくまでもストリート仕様で、ゆう気持ちがあったから、そりゃ意識するわ。彼んとこは298km/hも出してたしな。でもいってみればヤマモトZはツインターボL型の1号車やろ。ウチんとこは2号車。1号より2号のほうが速うないと意味ないんや。男ならやってみよ思うわ。

OPT:今の気持ちはやっぱり最高ですか?

牧原:記録は破られるためにあるんやろうから、受け身の今はあんまり面白うない。トップであるゆうことは、いつかトップでなくなるかもしれんゆうことや。

OPT:じゃあ今の記録はいつまで持っていられると考えてますか?

牧原:ヤなこと聞くなぁ。市販車ベースやったら315~316km/hが限界やろな。いくら足まわりやるゆうても市販車ベースやったら限界ゆうもんがあるし。そやけど、ただエンジンだけやってもダメや。足まわりや空力はもちろんやけど、結局アクセル踏むんはテストドライバーやろ。これからはエンジン、足まわり、ボディ、プラス、ドライバーの気持ちを考えて、心理的なセッティングも必要になってくる。そのこと考えたらエンジンのパワー上げるほうがよっぽど簡単や。ドライバーも人間や、恐怖感のあるクルマで踏まんのは当たり前や思う。

OPT:記録を出した時にダークホース的に書かれた記事がありましたよね。あれを見てどのように思われましたか?

牧原:・・・見とったれ・・・ゆう気になったな。やっぱ東京と大阪ゆうたら違うで。大阪は商人の街ゆうけど、逆や思う。東京は何でも商売に結び付けるのが上手い。ショップを見ててもそう思うわ。雑誌の広告ひとつ見ても商売上手なんは東京や。オレなんかそういうカケヒキみたいなもんが全く下手やから、それでダークホースになったんやろ。大阪は義理と人情の街や思う。これはホンマにそう思う。大阪のほうが正直な人間が多いんちゃうか。

牧原は東京と大阪という間に大きなギャップがあることをしきりに強調する。なぜ最高速を狙ったか、ということに対しても、東京には負けたくない、東京だけには絶対に負けたくなかったとしきりに語った。また、彼の話には男という言葉が実に多く入っていた。男なら、あるいは男だからといった具合に、男性が物心ついてから常に自分を自分と戦わせるような、バンカラチックな感情を男という言葉でヒシヒシと伝えてくる。なんとなく東京の下町の人情と似ているような感じがフッとしてきた。昔はダートラのレースでもクソ根性だけで勝てたけど、今はクルマを完全に仕上げないと勝てない、とちょっと淋しそうに話してくれた。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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