80年代を駆け抜けた超強烈インパクトな関西チューナー、クロキンZのMr.Mこと光田勝利とは?【OPTION1981年8月号より】

ケンカ大好きヤ。ゼロヨン大会!? 勝負事には負けられん

「着る物はザックバランが好きや。スーツは着いへんねん。スーツ着るとヤクザに見えるさかい」と、Mr.Mは冗談めかして笑う。しかし、なかなかどうして、ラフなスタイルでもかなりの迫力だ。

しかも、それが見掛け倒しじゃないとくる。「ケンカが大好き!」と豪語する腕っぷしとキャリアに裏づけされているのだから、こいつは参る。知らないとちょっと近づきがたい。だが、いったん身近に接すると第一印象は急速に変化していく。

「生まれは四国の愛媛、小さいころはガキ大将やった。それは今も変わっとらんけどな」。「昔のことを振り返って感傷に浸るなんて、そんなガラじゃない」とは言うものの、Mr.Mの鋭い眼にも、心なしか和みの色が浮かぶ。

「田舎におって、大阪や東京に憧れましたわ。そいで家出みたいに飛び出して来たもんな。20歳くらいかと思うわ。でも、ポッと出の大阪暮らしは手厳しかったわ。でも、憧れがかなったトコロでなんの足しにもならん。苦労したわ。ただ周りが良かったから、まぁ幸せだったほうかな」。

家出同然に大阪にやってきたMr.Mは、親戚の経営する建築関係の仕事に就いた。「仕事はビシッとやったけど、あの頃はケンカと遊びとスピードに明け暮れた毎日やったなぁ。3日に1ペンはケンカやってた。最もケンカいうても、弱い者イジメとは違う。まぁ、お互いのウデ試しみたいなものや。でも、道頓堀でヤクザ相手に血みどろの大立ち回り演じたこともあるけどな」。8針縫った眉間の傷が、その話を裏付ける。

しかし、クルマ、そしてスピードの魅力はケンカ以上だった。それゆえ、クルマをいらう事にかけては熱が入った。「とにかく好きやったから、チューニングの工夫はよくやっていた。エンジンはバラして勝手にポートを大きくしてみたり、まぁいろいろやったわ。エンジンいろうては名神ブッ飛ばしてな。あの頃は道も空いていたし今思うに、一番楽しかった頃やろな。250ccくらいやったか、ホンダCBの輸出仕様で競争しておって、全開でエンジン焼き付かせたこともあったわ」。

電柱に正面衝突したこともあるという。話のハズミで滑った口から「もう4回も免許を取り直した」なんて事実も明らかになった! 原因はもちろん、スピード違反。100km/hオーバーなんてメじゃないのだ。

「あ、忘れちゃいかん。ワシは女にようモテルのよー。昔は建築の現場に女学生が押し寄せてきたもんや。冗談や思ってるやろ。ホンマよ! 当時は宍戸錠に似ていて、『ジョーさん、ジョーさん』いうて大変やったんヨ。バイクに何人乗れるか・・・。CB250に地元の女子高生9人乗せて1駅くらい走ったんや。途中1人落ちたけど、ポリも笑っとった」。話を聞けば、ますますMr.Mが豪語磊落な、それでいて茶目っ気もある型破り人間だということが良く分かってくる。

ワシラもクルマ好きや、速いマシンなら任せてくれ!

クルマ関係の仕事に手を染めたきっかけが、また面白い。

「岸和田の中古車センターへ自分のクルマを売りに行って、それが縁でしょっちゅう遊びに行くようになったんや。そしたら『アンタも中古車センターやってみたら?』って言われて、一晩考えて『やるわー!』いうて、翌日には[光田自動車商会]の名刺、作ったんや。そのへんの空地に中古車10台ほど並べて商売始めたもんや。儲けを他社の1/3くらいにして、1台売って2〜3万円のものやけど、売れたわな」。その決断力と商才には脱帽だ。

もちろん、当時からチューニングはやっていた。しかし、本格的に、つまりお客さんからお金を貰って始めたのは1976年だという。「チューニングには自信があった。ポイントは計算と加工と、もうひとつはカンや」。バンバン、クルマの通る国道の横でも3分で眠れる、というくらいのん気でずぶとい精神を持つ反面、セッティングを考えたら朝まで眠れない、というほど神経質な側面をもMr.Mは併せ持つ。ひとつのアイデアが浮かんだらとことん煮詰めて、メイク&トライを繰り返したという。Mレーシングの目を見張る速さは、そこから生まれたといっても間違いない。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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