80年代を駆け抜けた超強烈インパクトな関西チューナー、クロキンZのMr.Mこと光田勝利とは?【OPTION1981年8月号より】

関東モンには負けられん! ナニワ・チューンの底力を見せたるで!!

大阪府堺・・・ホットなチューンドカーを生み出すことで著名なショップが名を連ねている。カキモト・レーシング、エイワ・レーシング、いずれもゼロヨン大会のトップコンテンダーだ。ちょっと東へ目を向ければ八尾市にはカーショップ・チャレンジが、奈良・大和高田市には13Bペリターボで躍進著しい上田タイヤが覇権をうかがう。

目指すMレーシングの所在する貝塚市も程近い。ここは、関西チューンドカーのホットゾーンなのだ。「多分この近辺か?」と注意を喚起する間もなかった。修理工場然としたショップが現れる。Mレーシングだ。表にずらっと並んだZでもそれと分かった。道路を隔てた斜向かいにはなんと!交番があった!! 奥まったガレージの屋根には『スピードショップM』と書かれている。このショップで組織されるレーシングチームがつまり、Mレーシングなのだ。

軒先に吊るされたスピーカーからは演歌が流れている。有線放送だ。ガレージを覗き込むとトレードマークの黒いツナギを着たメカニックがふたり、バラされた6気筒のL型エンジンに取り組んでいた。そして目指す社長は、事務所の中だった。

ブッチギリの個性が、ブッチギリのチューンドカーを生む!?

170cmの痩身にアフロっぽいヘア。節くれだった指先には、いつもタバコがはさみ込まれている。Mレーシングの総師、光田勝利。一見、年齢不詳。自称30歳だが、実のところは40歳近いと聞く。とりわけ鋭い眼光が印象的だ。強烈な個性の持ち主であることがプンプン匂ってくる。Mr.Mという呼び名がピッタリだ。

そういえば、Mレーシングの主力ゼロヨンマシン、ブラックとゴールドに塗り分けられたフェアレディ、通称「クロキンZ」は一種独特の個性的なカラーリングを持つ。Mr.Mお気に入りの3.2L版S54BスカGにしてもそうだ。こうしてみると、Mレーシングの並外れた速さを生む秘密も、Mr.Mの強烈な個性と無縁ではないように思えてくる。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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