30年ぶりに国内を走るマツダ・757をはじめ、往年のロータリーマシンが集結。9月24日は富士スピードウェイへ!

9月24日(日)富士スピードウェイにて開催される「レーシング・ロータリー・ファン・フェスティバル(R.R.F.M.)」。

R.R.F.M.では、国内での走行が30年ぶりとなるマツダ757をはじめとして、富士グランチャンピオンレース(グラチャン)を戦ったマシンやなど、レジェンドレーシングカーが大集結。

当日、デモランや展示などが行われる、ロータリーエンジン・レーシングカーの歴史を飾ったマシンたちを紹介していきましょう。

【マツダ757 1986年、1987年 ル・マン24時間レース参戦マシン】

マツダ757は、3ローターエンジン2年目の1987年ル・マン24時間レースで総合7位入賞、IMSA GTPクラス優勝を果たしたマシン。その活躍によって、日本国内でもル・マン24時間レースの知名度は急上昇しました。レストアされ、2015年のグッドウッドフェスティバルオブスピードに展示されていたものを、スイス人愛好家エディ・タヴェリ氏が入手。今回、氏のたっての希望で里帰り走行が実現化しました。

【MIZUNO・SPORTS・88S 1988年 GCシリーズ参戦マシン】

富士スピードウェイをメインに1971年から1989年まで開催された富士グランチャンピオン(GC)レース。このマシンは、1988年とGC最終年となる1989年にエイエ・エルグ(フィンランド)のドライブで参戦したものです。

シャシーはF3000マシンであるローラT88をベースにGCマシン用として専用設計されたローラT88/40、ボディカウルは東京R&D製オリジナルモデルの88Qで、エンジンは、マツダ757に搭載されていた3ローター自然吸気の13Gの市販スポーツキット版である20Bエンジン(出力は約450馬力)。車両重量は640kg弱で、最高位は89年鈴鹿の4位でした。

【ITO HAM ローラT88/50セルモ89G 1988年 GCシリーズ参戦マシン】

MIZUNO・SPORTS・88Sと同様に20Bエンジンを搭載し、88年と89年のGCシリーズに従野孝司のドライブで参戦したマシン。20Bエンジン搭載マシンはこの2台のほか、寺田陽次郎、片山義美、赤池卓、清野憲治など常に5台〜6台ほどがエントリーしており、無限MF308やフォードDFVのレシプロ勢に対抗しました。

カウルは主流であったムーンクラフト製ではなくセルモ製をチョイス。このマシンでの最高位は89年鈴鹿の7位でした。

【ファミリアロータリークーペ 1970年スパ・フランコルシャン24時間レース仕様】

1968年、少量生産のスポーツカー、コスモスポーツによるニュルブルクリンク84時間レース(マラソン・ド・ラ・ルート)参戦によって、ロータリーエンジン車によるレース参戦の幕が切って落とされると、同年7月にファミリーカーとして発売されたR100(日本名:ファミリアロータリークーペ)でも早速レース参戦計画が策定されました。

1969年には、コスモスポーツに代わりマラソン・ド・ラ・ルートに参戦し、1970年にはシルバーストン、ニュルブルクリンク、スパのヨーロッパツーリングカー選手権に出場しました。現地では格上のマシンと互角に渡り合う小柄なロータリークーペは、「リトルジャイアント」というニックネームで呼ばれていました。

このマシンは、1970年のスパ24時間に参戦した当時の仕様を忠実に再現しており、国際的なヒストリックカーレースに参加可能となるFIA/JAFヒストリック・テクニカル・パスポートも取得している本格仕様のレーシングカーとなっています。

【サバンナRX-3 マツダオート東京仕様】

1971年にデビューしたサバンナはシースシーンにおけるファミリアロータリークーペ、カペラの後継モデルとして登場。デビュー当初は10Aエンジン搭載であったため、スカイラインを相手に苦しい戦いとなりましたが、12Aエンジンの搭載が認められるとすぐにその本領を発揮して日本のレースシーンを席巻。スカイライン対ロータリーの図式を無敵のロータリーへと変えたエポックメイキングなマシンです。

現在でもその研ぎ澄まされたその外観とシルエットは見るものを魅了し、独特なオーラを携えています。赤と白のマシンはマツダオート東京のワークスカーで1974年の富士GCビクトリーレースに衆生した寺田陽次郎のカラーリング、もう1台の青と白にマシンは前車の赤ストライプを青に変更したものとの事ですが、当時はこのカラーリングで走っていたマシンもあったそうです。

【サバンナRX-7 1979年 デイトナ24時間レース仕様 7号車/77号車】

1978年にデビューしたサバンナRX-7(SA22C)は、RX-3の名声を受け継ぐピュアスポーツカーとして登場。スタイリッシュなシルエット、軽量でハイパワーな12Aロータリーエンジンをフロントミッドに搭載し、卓越な操縦性で瞬く間にあらゆるモータースポーツシーンの主役の座につきました。

SA22Cのポテンシャルを示す象徴的なレースが1979年デイトナ24時間レースです。デビューレースながら片山/寺田/従野組の7号車が総合5位 GTUクラス優勝を飾り、もう1台のW.ボーレン/J.ダウニング/R.マンデビル組の77号車が総合6位 GTUクラス2位という好成績を残しました。これが後のロータリー車によるIMSA 通算100勝へとつながる第一歩となりました。7号車は白とグリーンを基調とし、77号車は白と赤が基調となっています。

【マナティーMK4】

愛知県小牧市のレーシングカーコンストラクターであるマナティーレーシングから1983年に発売されたRS(レーシングスポーツ)マシン。当初はGCカーと同様に2座席マシンにノーマル12Aエンジンを搭載したRJからスタートしました。RJからSJ、RSと進化し、コンストラクターもマナティーをはじめ、ウェストレーシングカーズ、オスカー、マキシムなどが参入し、その覇を争いました。最終的にはシングルシーターで180馬力までチューニングされたエンジン(12A)が搭載され、性能的にはF3と同等の速さをもったカテゴリーとなりました(このマシンには現在は13Bが搭載されています)。

【ナイトスポーツ マカオGPスポーツカーチャレンジ参戦 RX-8】

2009年から2013年まで5年連続でマカオGPスポーツカーチャレンジに参戦したマシン。エンジンはナイトスポーツチューンの13Bターボチャージャー仕様でシャーシや空力デバイスにはナイトスポーツのノウハウが集約されてた仕様となっています。ライバルはランサーエボリューションや日産GT-Rなどハイパワー4WDマシンであり、絶対的なトラクション性能では劣るものの、軽量で操縦性に優れた特性を生かし、マカオのマツダ販売会社であるバンイクモータースの協力を得て活躍しました。戦績は不運なアクシデントもあり、最高位は2009年と2012年の2位となっています。

【イベント開催概要】

[イベント名]
Racing Rotary Fan Meeting (R.R.F.M) – Welcome back, MAZDA757 –

[開催日程]
2017年9月24日(日)

[開催会場]
富士スピードウェイ A パドック及びレーシングコース
静岡県駿東郡小山町中日向694

[イベントコンテンツ(予定)]
・コースコンテンツ
・トークショーイベント

[チケット]
・ 前売り(下記イベント公式サイトから発売予定)
先着順 ※プレイガイド、チケットぴあ等での前売発売はありません。発送は9月上旬から順次となります
R.R.F.M. パレードラン 4,000円 150 台限定(入場券・パドックパス・パレードラン・50 周年記念ステッカー付き)
R.R.F.M. 専用駐車場・パドックパス 3,000 円 757 台限定(入場券・パドックパス)※Aパドックへのアクセスが容易なP18 又はP19 に駐車可能
追加入場券/ パドックパス 1 枚 3,000 円
・当日券
西ゲートにて入場料を支払い。Aパドックに入場する場合は別途パドックパスが必要
※グランドスタンドからの観覧は入場料だけで可能。同イベントへの入場はすべて西ゲートから

[運営]
R.R.F.M. 実行委員会(MZRacing内)
TEL 03-3560-1899  tasug.jp/rrfm

[併催イベント]
2017 GLOBAL MX-5 CUP JAPAN FINAL

古川教夫

【関連リンク】
レーシング・ロータリー・ファン・フェスティバル公式サイト
tasug.jp/rrfm

この記事の著者

古川教夫 近影

古川教夫

1972年4月23日生。千葉県出身。茨城大学理学部地球科学科卒。幼稚園の大きな積み木でジープを作って乗っていた車好き。幌ジムニーで野外調査、九州の噴火の火山灰を房総で探して卒論を書き大学卒業。
ネカフェ店長兼サーバー管理業を経て、WEB担当として編プロ入社。車関連部署に移籍し、RX-7やレガシィ、ハイエース・キャピングカーなどの車種別専門誌を約20年担当。家族の介護をきっかけに起業。福祉車輌取扱士の資格を取得。現在は自動車メディアで編集・執筆のほか、WEBサイトのアンカー業務を生業とする。
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