最高速テストドライバー「稲田大二郎」が誕生した日【OPTION1983年2月号・その1】

今まで何本かご紹介してきた「Play Back The OPTION」最高速ネタですが、なにかお気づきではありませんか? OPTの最高速テストドライバーといえば…そう、OPTION誌零代目編集長・稲田大二郎、通称:Dai。しかし、今まで紹介してきた記事の中に最高速テストドライバー・Daiは、まだ登場していないのです。

なぜ最高速テストをDaiがドライブするようになったのか…その誕生秘話が今回、紹介する1983年2月号に掲載された最高速テスト記事の巻頭に記されています。

悪天候の中でのテスト、ドライブを依頼したプロのレーシングドライバーから放たれた言葉……。では、見ていきましょう。

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1982年11月25日 最高速テスト・ドキュメント

烈風がすべてを決した! 「カーン!」、澄み切ったメカサウンドが、晩秋の青空に響きわたる。テストコースのはるか南バンクを駆け下りたマシンは、計測ポイントへのアプローチラインに乗った。バンクの走行抵抗から解放されたマシンは、さらにメカサウンドを高める。速い!

ステアリングを握るのは、あの日産ワークス三羽烏のひとり、レーサー:北野元。1968年、第5回日本グランプリで日産R381を駆り、ポルシェ・カレラ10を降し、日産に総合優勝をもたらした、まさにそのレーサーなのだ。

マシンは一直線に1.2kmのストレートの終端に設定された、400mの計測区間を駆け抜けた。いや、抜けようとしたその矢先、マシンは突如、2車幅余りもスパッと横っ飛びしたのである。風だ! 「400m地点のテープスイッチを踏んでないゾ!」、計測スタッフの悲痛な声がトランシーバーを震わせた。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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