■鈴木亜久里のF1波乱万丈人生
この30年、アイルトン・セナやミハエル・シューマッハーなど、たくさんの個性あるドライバー達がF1を盛り上げてきました。その中で日本人F1ドライバーとして初めて表彰台に立ち、引退後はスーパーアグリF1チームのオーナーとしても活躍した、F1の厳しさを味わい尽くした鈴木亜久里さんが、自身のグランプリ人生を振り返ります。
1988年日本GPでF1デビューを果たし、翌年ザクスピードからフルタイム参戦を果たした亜久里さん。デビューまでの道のりは「とにかく人に恵まれていた」のだそう。
「当時の日本人にとっては、F1に行くこと自体が夢だったからね。F3000のチャンピオンになっても、自動的にF1に行けるルールなんてなかった。それが俺の場合、ちょうど日本がバブルで景気が良くて、日本企業がどんどんF1チームのオーナーになった。そういう時代にちょうどドライバーとしてピークを迎えられることができた。それはすごい幸せな巡り合わせだったし、もう一回同じ人生やれって言われても無理だよ。」
セナやアラン・プロスト、ナイジェル・マンセルらが自分のすぐ横を走って行く……。そんな夢のような世界に飛び込んだデビュー当時の心境も話しています。
「実際にそこに行っちゃうと、夢の世界なんかじゃない。現実の世界、大変なところに来ちゃったと、すぐさま思い知らされた。」
ラルースに移籍した1990年日本GPで日本人初の3位表彰台に上がり、最高のシーズンを送ったのも束の間、1991年の入賞は開幕戦の6位のみ。契約満了にともない翌年フットワークに移籍しましたが、2年間で一度も入賞を果たせないどころか、チームがバブル崩壊による経営不振でF1から撤退。1993年末にはシートを失ってしまったのです。
1995年にはリジェでF1復帰を果たしましたが、開幕後にマーティン・ブランドルとシートをシェアすることを告げられ、全17戦中6戦のみの出場となりました。そしてこの年の日本GP予選2日目のアタック中にS字コーナーでクラッシュし重傷。翌日のレースにも出られず、そのまま現役引退となってしまいました……。
「ほんとうだったら日本GP予選後に、引退記者会見をするつもりだった」と語る亜久里さんですが、一体いつから引退を考えていたのでしょうか。
「年をとってくると『いつかやめようかな』と少し考えるようになって、その比率が高くなってくる。最初は5%、それが10%、15%に増えていく。いきなり『やめよう』じゃなく、徐々にね。日本に帰ろうかなあ、と考える時間が、長くなってくる。(リジェ在籍時は)もう35歳だったしね。もうやめようと思ってた。フットワークの時は、ジェンキスのクルマがほんとに嫌だったし(笑)。」
そして2006年1月、「45歳までにF1チームを立ち上げる」と言っていた亜久里さんが、まさに45歳4カ月の時に「スーパーアグリ」を立ち上げ、その夢を叶えたのです!
「準備期間も、ものすごく短かったよね。(2005年)11月に発表して、翌年から参戦でしょう。絶対できない、ってみんなに言われたよ。」
「スーパーアグリ」で忘れられないのが、2007年オーストラリアGP予選。エースドライバーの佐藤琢磨選手がチーム創設時からは想像もできなかった、Q3進出を果たしたことです。
予選後、チームと佐藤選手が、抱き合い、お互いを称え合っている姿を見て涙が出そうになりました。あの時の亜久里さんと佐藤選手の笑顔、そして日本のレース魂を世界に見せつけたあの走りは今でも鮮明に覚えています。「F1って面白い!」と、ますますF1を好きになったきっかけにもなりました。
その後もマシンはシーズン序盤から高い戦闘力を発揮し、スペイン、カナダと入賞を重ねていきます。
しかし、2008年資金難からチーム存続が危ぶまれ、開幕4戦に出場したところで、夢の純日本F1チームは残念ながら撤退となってしまったのです……。
「とにかく金がなかった。金があってうまくいかなかったんだったらあれこれ悔やんだだろうけどね。いろいろ資金調達の計画はあったけど、うまくいかなかった。でもホンダ(の現場)の人たちは、ほんとに良くしてくれた。寝ずに一緒にクルマ作ってくれて、もう感謝しかない。ものすごい感謝ですよ。そうじゃなかったら、とてもあんな短期間で、チームの立ち上げなんてできなかった。」
そして、今の亜久里さんが当時のように情熱を注いでいるのは、日本人ドライバーをF1に送りだすことなのだそう。
「強い日本人、勝てるドライバーをね。ひとつ歯車がはまれば、昨年のアブダビGPで見せてくれた(GP2松下選手、GP3福住選手が表彰台獲得)みたいに、素晴らしいレースができて、必ず上に行ける。結局、F1とかモータースポーツって、道具じゃないんだよ。人間だからさ、観てて熱くなれるのは。」
「だからこそ、ホンダにはとことんやってほしい。これからどうしていくのか、俺には分からない。でも本音として、フルコンストラクターになってほしいね。そこに日本人ドライバーが乗って、チャンピオンになる。それが理想形だよね。」
私がF1を観始めたのは2006年。「F1事件簿30年史」は30年という歴史の中の3分の1のことしか知らない私でも、「あった、あった!懐かしい!」と思うシーンや「こんな事があったんだ!」と新たな発見もあり、世代や観戦歴を問わず誰でも楽しめる1冊になっていますよ!!
(yuri)