トヨタは世界にWRC復帰を待望されていた!【今さら聞けない!ラリーのイロハ・その3】

モンテカルロラリーは1911年から開催され、既に100年以上が経過しました。ラリーはF-1よりも遥かに古いモータースポーツイベントなのです。

しかし各国のラリーがWRCとしてまとめられ、メーカー(マニファクチャラ―)の世界選手権が制定されたのは1973年。ドライバー選手権は更に遅く1979年から。F-1は1950年代に世界選手権が制定されているので、世界選手権としての歴史は日が浅いのですね。

トヨタは、WRC開幕前より前から世界のラリーに参戦していました。

1968年、初代セリカ(TA22)でモンテカルロラリーに出場するプライベーター支援で、最初の足跡を刻むと、翌70年はコロナマーク2を2台参加させます。

そしてトヨタは「国際ラリーに勝てるドライバー」としてオべ・アンダーソンのサポートを開始します。72年12月RACラリー(現在のウェールズラリーGB)にアンダーソン/フィリップス組がセリカで出場。翌73年にはチーム名を「トヨタ・チーム・アンダーソン」として初年度のWRCへの参戦を開始します。

参戦初年度は3戦に参加し、12位完走が最高結果でした。その後、オイルショックによるモータースポーツ活動の縮小・チーム存続の危機を乗り越え、75年にはチーム名を「TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)」に変更、事実上のマニュファクチャラーチームとなります。

同年の1000湖ラリー(フィンランド)で、ハンヌ・ミッコラがカローラ(TE27)でWRCチーム初優勝を飾りました。ちなみに、トヨタ車のWRC初優勝は、73年プレス・オン・リガードレス ラリー(アメリカ)にカナダのディーラーチームより出場したウォルター・ボイスのカローラ(TE20)でした。

80年代に入り、WRCは改造範囲の広いモンスターマシン・グループBの時代となりました。TTEはセリカ(TA64)をベースとしたセリカTCT(ツインカムターボ)で参戦します。

’82年、ラリー・ニュージーランドでグループBでの初優勝をビョルン・ワルデガルドが飾ると、翌’83年のアイボリーコースト(コートジボアール)でも優勝。84年からサファリラリーを3連覇します。

しかし、ハイパワー過ぎるマシンでのたび重なる事故で、グループB規定マシンでの選手権は’86年で終了。’87年より改造範囲の狭いグループAで争われることとなりました。

グループAは通年で5000台(87年当時 グループBは200台製造認可)のベース車両の製造台数が必要となり、超高価格/高性能スポーツカーは閉め出される事となりました。