こうした状況を現在のようなかたちに変えるのは、さすがのバーニーでも一朝一夕にできる仕事ではなかった。しかし、テレビ放映権の収入によってFOCAがようやく現実的な力を持つようになると、彼はその未来に向けてのビジョンを次々と実現し始め、79年までにF1は大きく様変わりしていた。
まず、わずかな例外を除いてF1に出場できるのは選手権の全戦にエントリーしたチームだけになり、一戦限りの参加はほとんど見られなくなった。テレビ局との契約は共通の基準に基づいて交わされるようになり、グランプリの週末のスケジュールは統一された。フライアウェイレースへの機材の輸送も全チーム分が一括で手配され、F1は一式揃ったかたちで街へ来てくれるサーカス団のようなものになった。
いつも同じ顔ぶれの熟練したスタッフが仕事をこなし、どこのサーキットへ行っても同じようにレースができるようになったのだ。そして、テレビ局はシーズン全戦を生中継するのが当たり前になり、バーニーが来た時にはまだマニア向けのマイナースポーツだったF1は、世界中で多くの人々が観戦するグローバルスポーツのひとつに成長した。
70年代始めにはマシン1台とドライバーを含めて8人のチームメンバーがいれば、世界選手権でレースができた。だが、今ではトップチームは総勢1000人にも迫る大組織となっており、この業界はバーニーが来た当時と比べると、少なくとも100倍の雇用を生み出していることにもなる。
また、F1は単に規模が大きくなっただけではなく、世界的な広がりも見せてきた。現在、F1はアフリカ大陸を除く世界各地(ヨーロッパ、南北アメリカ、中東、東南アジア、極東、オーストラリア)で開催され、それを世界中で100以上のテレビ局が生中継し、4億以上の視聴者が観戦している。
しかし、自分の周囲に信頼できる人間だけを置いてきたバーニーは、部下に権限を移譲できず、彼が職を追われた時点でFOGにスポンサーシップ担当の職員は一人しかおらず、マーケティングを受け持つものはひとりもいなかった。個人的なコネクションを使ってスポンサーを獲得する世から移り変わって、スポンサーシップ契約がより複雑なものになると、もう昔ながらのやり方は通用しなくなっていたのだ。そして、最終的にはそれが彼の時代の終焉につながった。
しかし、彼がほとんどゼロから育て上げたビジネスの代価として、リバティ・メディアが80億ドル(約8945億8000万円)もの大金を喜んで支払ったのは、バーニー・エクレストンがF1で素晴らしい仕事をしてきた何よりの証拠だ。彼が残した遺産はこのスポーツに関わる人によって守られ、称えられていくだろう。(F1速報2017年シーズン展望号より)