【MONDAY TALK by 星島浩】 村山の機械試験所を舞台に行われたロードテストで、バイク運転のヘタな私が初めてテスト要員に昇格? したのは50cc原付。もちろん動力性能や操縦性評価ではない。燃費テストに限られた。
メーカーがガソリン1リットルで100㎞、東京から小田原まで走れる、なんて宣伝。それを村山機械試験所のオーバルコースで実証しようと決まり「お使いさん」扱いの私に出番が回ってきたもの。
高精度の流量計が得られる時代ではない。座長である富塚清先生が明明治大学の研究室で自製なさった。ランドセルよろしく木の板にガラス容器とパイプを配し、コックを設けてゴム管を気化器に繋ぐ落下式だ。これを背負い、当該原付に跨がってヨーイ・ドンと相成る。
さすがに1リットルではないが、誤差を小さくするには少なくとも200cc必要だろうと。これで約20㎞区間を定常40㎞/h走行するのである。話は簡単だが、ガソリンが確実に流れ落ちる範囲で、できるだけ低い姿勢を保ち、空気抵抗を小さくしないと叱られる。当時、私は体重55㎏—-ちょうど、いいじゃないか、というわけだ。
村山のオーバルコースは片方にバンクがあって80㎞/h走行できるが、一方はほぼフラットで小さめのカーブ。40㎞/hなら問題ないものの、万が一転倒すれば「カチカチ山の狸」だ。用心しながら姿勢を崩さず30分も走り続けると身体が硬くなり、降りて暫く腰と膝が伸びなかった。燃費は宣伝に偽りなかったが、もう1回125ccバイクで付き合い、後輩にバトンタッチできたときはホッとしたもの。
以来55年ほど経過。
昨年以来<JC08>=ジェイシーゼロハチ燃費が目立つようになって、急に40年前の10モード試験を思い出す。
新宿区牛込で起きた鉛公害に端を発し、大気汚染を防止すべく排ガス規制が発効。新型車を認証する運輸省(当時)が排ガステストを義務づけた。排気ガス中の有害物質が規制値以下であることを認証条件にすると同時に<10モード燃費>公表が始まる。
私は平凡パンチ誌カーデスクに就いていながらモーターファン・ロードテスト参加を続けており、茨城県谷田部のJARI(社団法人日本自動車研究所)で10モード試験を見学したのが1970年代前半だ。モーターファン・ロードテストが4輪乗用車を主に採り上げるようになった1970年に都下・村山の機械試験所から谷田部のJARIに移転。周回コースやスキッドパッドで走行実験を終えると、シャシーダイナモ室で10モード試験を行う—-本心、自ら運転したかったが、とても指示通りに走れないと悟り、専ら見学に回る。テストはおおかた夜に行われた。
手許にメモがある。テストは積算実績3000㎞以上の車両を暖機運転後、台上に据えて走行開始。
①アイドリング=20秒。 ②20㎞/hまで加速=7秒。
③20㎞/h維持=15秒。 ④20㎞/hから減速停止=7秒。
⑤アイドリング=15秒。 ⑥40㎞/hまで加速=14秒。
③40㎞/h維持=15秒。 ⑧40~20㎞/h減速=10秒。
⑨20~40㎞/h加速=12秒。 ⑩40㎞/hから減速停止=17秒。
都合10モードを3回行う。乗員2名。メーカー派遣の専門? ドライバーの巧みなペダル捌(さば)きを脇で見て感心した。
本来目的は排ガス試験だが、テスト中の排ガスを大きなビニール袋に溜め、CO、HC、NOxやCO2をg/㎞単位で測定。ガス成分から消費燃料量を算出する。60㎞/h定地燃費も同じ方法で測った。
10モードは都心走行を模していたが、やがて実情に照らして甲州街道辺りの郊外走行を想定した15モード試験が加味される。
すなわち、始動直後に発進、70㎞/hまでの加減速や70㎞/h保持モードをプラス。アイドリング時間と頻度も増やし、10モード3回と15モード1回を合わせた10・15モード燃費が定着した。★